インタビュー:セサル・オルドネス

スペイン人フォトグラファーが切り取る、日本人女性の足下

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インタビュー:セサル・オルドネス

'Hanabi' © César Ordóñez, courtesy of the artist and 'Tokyo-Ga'

「僕は、東京に恋してるんです」、スペインの写真家、セサル・オルドネスはそう言う。その言葉と似たような親近感を持ってこの街を語る人は珍しくないが、彼のアーティスティックな表現と感覚は、独特な個性をはらんでいる。100人の写真家の目を通して東京という都市を表現する、太田菜穂子主催のアートプロジェクト『東京画』のクリエイター陣は、オルドネスの「足下」シリーズでその本質を見出し、2011年には彼をプロジェクトの一員へと招き入れた。「無秩序に広がる都市」という誰もが思いつくありきたりな描写は避け、自身の視点で表現の模索を行うことを好む写真家の目に留まったのが、綺麗な「足」だったのだ。


―あなたの「足下」シリーズですが、女性の足ばかりが題材に用いられていますよね。美のアピールとしては理解しうるものですが、もっと他にも目を引くコンセプトがあったのではないでしょうか?
話は子ども時代にまで遡ります。女性の身体の中でも、足はとても興味深い部位だといつも考えていました。足は美しいものであり、ずっと露出していればいいのにと考えていたんです。2000年に初めて東京に来た時、日本、それも特に東京の女性の外見へのこだわりを見て衝撃を受けました。彼女達の手足には、いつも完璧にマニキュアが施されていたんです。それと、スタイルの多様性にも衝撃を受けました。たとえばバルセロナでは、夏はみんなハワイアナス(ビーチサンダルのブランド)を履いています。しかし東京では、それぞれみんな違いますよね。フェチシズムとかファッションとか、そういうことではありません。女性の持つ女性らしさ、感受性、性的魅力を表現することに僕は強く興味を持ったんです。こういった女性の本質を自分の写真で表現し、完璧に伝えることができていると感じています。元々のシリーズは2007年に完成させていましたが、東京画に参加して以来、新しい写真をコレクションし始めました。


―アイデアのきっかけは?
僕の場合、だいたいは写真そのものがアイデアのきっかけになっています。写真を計画的に撮るのではなく、自然に任せて撮るのが好きなんですよ。東京にいる時は、写真を撮りながら通りを散歩するのが好きです。僕にとって、これは一種の瞑想なんです。体験すること自体が重要。僕が写真を撮るのは、物事を理解するため、つまり僕自身と僕の周りの世界を理解するためです。都市とそこに住む人との間に存在する関係性を、理解したいと考えているんです。都市と人は繋がっています。都市は人に影響を与え、人もまた都市に影響を与えています。このシリーズは、僕の東京での活動の出発点なんです。フェミニティという他に、大都市という環境の中での「親密さ」という点にも着目しています。


―では、あなたは東京を歩く時、女性の足を見つけるなり黙って写真を撮るのですか? それとも、まず立ち止まってもらって撮影許可をもらうんですか?
両方ありますね。実際は、盗み撮りするのが好きなのですが。僕の作品のコンセプトは、カメラを意識しない写真ですからね。許可を得て撮影した際の写真は、だいたい技術的で作りもののようになってしまい、最初に見出した魔法は消えてしまいます。例えば、「足下」シリーズの作品に1列に並んで立っている、3人の若い女性の脚を写したものがあります。その女性達の内2人は友人同士でしたが、もう1人はその瞬間たまたまその通りで出会った写真家の方でした。僕は彼女達に一緒に写真を撮りましょう、と提案したんですね。それで最終的に撮れた写真が、3人みんなが一緒に笑っておしゃべりしている、カメラを意識しないものだったんです。きっと、あなたにもこんな写真が撮れると思いますよ。この写真には、カメラを意識していては得られない動きや、感情が写っています。


―足を見ているだけなのに、写真にどう写るか感じ取ることができるというのは興味深いです
それはまさしく核心をついています。僕は、全体像を写真で見せたいとは考えていません。ただ、一部分だけを見せて、それぞれに解釈してもらいたいんです。写真を見る人が想像して、あとの残りを埋めてもらうのが狙いです。


―東京の何が、あなたの想像を掻き立てるのですか?
東京に訪れた時、いつも故郷に帰ってきたような感覚を覚えます。僕の本当の故郷であるバルセロナからは遠く離れているというのに、おかしな話ですよね。この場所にいると、自分自身に親密さをより強く感じるからだと思います。バルセロナにいる時は、他人との関係、政治、仕事など、自分の世界にある全てのものを管理したいと考えてしまいます。でもそんなことはできません。人生は何が起こるか分からないんです。自分の人生を管理しようとしても、ストレスがかかるだけです。東京は、僕には理解できないことで溢れています。僕は日本語を少ししか話せませんし、英語も完璧ではないので、東京での会話ではいつも状況が呑みこめない「空間」に出会います。つまり、東京では自分の人生を完璧に管理することは不可能だと分かっているからこそ、リラックスできているんです。今取り組んでいる新しいプロジェクト『Tokyo Blur』を通して、この感覚を表現し伝えることを試みているんです。このプロジェクトで展示される写真のぼかし部分は、東京にいる時に自分自身とその周りの世界の間に存在することが感じられる、今言葉にしたような空間を表現しているんです。これは前向きな感覚ですよ。


―その感覚は、「親密さ」シリーズにも表現されているのですか?
ええ、ただ少し違う角度から表現しています。この作品をメキシコかスペインで展示する時は、人々が独りで佇んでいる様子を撮った写真のせいで、孤独を表現していると受け取られます。これは東京でも同様で、そう受け取られるのも当然のことと思っています。でも、僕の観点はそうじゃない。僕にとってこれは、東京に来る時いつも抱く感覚を表現しているんです。自分の身体的、感情的空間が保護されていて、許可無しには何者もこの空間に入ることはできないという感覚です。これはとても興味深い感覚ですよ。僕は東京では孤独を感じません。ここには友人がいますから。それでも、自分自身を保ちたいと思う時には、いつでもその感覚を取り戻す事もできるわけです。


―最後の質問です。靴はヒールかフラットか、どちらが好きですか?
ヒールですね!


'Shinjuku' © César Ordóñez, courtesy of the artist and 'Tokyo-Ga'


'Ginza-no-hana' © César Ordóñez, courtesy of the artist and 'Tokyo-Ga'


'Shinjuku-no-kokoro' © César Ordóñez, courtesy of the artist and 'Tokyo-Ga'


'Harajuku' © César Ordóñez, courtesy of the artist and 'Tokyo-Ga'


セサル・オルドネス


※セサル・オルドネスの作品は世界中で展示されており、Auer Photo Foundation(ジュネーブ・スイス)、Fundacio Fotocolectania(バルセロナ・スペイン)、Fundacion Unicaja(マラガ・スペイン)などの主要コレクションの一部となっている。その他の写真作品に関してはオフィシャルサイトへ。

Interview by アンマリー・ラック
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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