2013年05月13日 (月) 掲載
インタビュー前編より続く。
では、日本のラップを積極的に聴き始めたきっかけは何だったんでしょうか?
何年か前、『ROADSIDE USA~珍世界紀行 アメリカ編 』(アスペクト/2010年)という本をつくるために、アメリカの田舎をうろうろしていたことがあったんだけど、あっちに行くと、皆、ヒップホップなんだよね。白人も黒人も、ショッピングモールとかにたまってだらだら遊んでいるような奴らがわざと大きな音でかけてるのは、もう100%ヒップホップ。それで、日本に帰ってきて地方巡りをしていたら、やっぱり、夜中のコンビニの前に止まってる若者の車からは、ヒップホップが聞こえてくることに気付いて。
それは、日本のラップじゃなくて、アメリカのラップですよね?
両方だと思う。例えば、この本を出して……今までだと、まず、同世代の人が褒めてくれるんだけど、今回はその息子さんぐらいの世代から「良かったっす」とか言われる(笑)。で、「え、君、20歳ぐらいなんだ。こういうの好きなの?」って訊くと、「中学の時にMSC(注 :新宿を中心に活動するグループ。ラッパーの漢を筆頭に、歌舞伎町や新宿周辺の闇社会をドキュメントしたラップで知られる)にハマって~」みたいな話を普通にする。だから、今の若い子って凄く日本のヒップホップを聴いてると思うんだよね。だけど、さっき言ったようにメディアはまったく無視してる。だから、最初、テレビどころか雑誌にすら情報が載っていない中で、皆どうやって情報を共有しているんだろう? って不思議でしたね。
日本のラップって妙なところがあって、一部を除いて、ほとんど売れてないんですよね。それでも、常に若いアーティストが出てくるし、若いリスナーがいて、新陳代謝が繰り返されている。
そう、既存の音楽のビジネスモデルからするとイビツなんだよね。例えば、THA BLUE HERBがミリオンセラーになることはありえないどころか、テレビに出たこともなければ、ラジオでまるまる1曲かかったこともないだろうに、普通のヒット曲より若者には浸透していたりする。それに興味を持ったんだよね。そりゃあ、ずっとヒップホップを好きな人たちにとっては、「何を今さら」って感じかもしれないけど、外から見てみると、凄く不思議なジャンルだなって、後追いで慌てて聴き始めた。ただ、メディアもなかったし、ヒップホップに詳しい友達もいなかったし、まずはCDをとにかくめちゃくちゃ買った。大型ショップにあるものを大体買いつくしたら、次は専門店を探して、店員さんにお薦めを聞いて。ミックスもたくさんあるから、引っかかったやつがいたら、そいつの単独音源を探したり。
真面目なリスナーですね。
だって、誰もプロモとかデモとか送ってくれないしさ。それでしばらくして、ライヴにも足を運ぶようになって。そこで驚いたのは、お客さんが一緒に歌っていること。でも、ラップのCDには歌詞カードが入ってないことが多い。じゃあ、どうしてるのかと言うと、皆、繰り返し聴いて必死に聞き取っている。その情熱は凄いよね。
今回、掲載されている歌詞でも、聞き取りでテキスト化したものがあるんですか?
ほとんどそうですよ。早口を必死で聞き取って、起こして、本人にチェックしてもらうという作業をまず行いました。テキストデータを送ってくれた人は1人か2人はいたかな? CDに歌詞カードが付いているものもあったけど、誤字脱字が多いし、級数が小さくて老眼じゃ読めないんで、拡大コピーして「とりあえず、5倍……」みたいな(笑)。
ラップのブックレットって、歌詞の書き方とか、そもそも、歌詞を載せるか載せないかとか、独特の美学がありますよね。
例えば、今回、S.L.A.C.K.(注 :PSGのメンバー。トラック・メーカーとしても知られるPUNPEEの弟でもある)には、「インタヴューはいいけど、リリックは載せたくない」って言われて、NGになっちゃったんだよね。「聴いて判断して欲しいから」って。もちろん、その気持ちも分かるんだけど、今回掲載したものに関しては、せっかくテキスト化したので、トークイベントで曲に合わせてプロジェクターでリリックを映してたりしてる。歌詞をじっくり読みながら音楽を聴く機会はあまりないから、結構新鮮。チプルソの時とか、泣いてるお客さんがいたり。単にDJとしてかけているだけではそういう反応にはならないし、面白い。
そういえば、『夜露死苦現代詩2.0』に対する、現代詩シーンからのアンサーというか、詩人の佐藤雄一さんに『現代詩手帖』(思潮社)上での連載「絶対的にHIP HOPであらねばらなない」でディスられてましたよね(2012年2月号)。
そうらしいですね。僕、読めてないんですけど。どんなことが書いてあったんですか?
ひとつは、「リリックが引用されているが、インタヴューでは生い立ちしか訊いてないので、詩学としては物足りない」みたいな感じですかね。でも、確かにこの本はライフ・ストーリー集とでも言うような構成になっています。何故、ここまで、“人生”というものを前面に押し出そうと思ったのでしょうか?
まさに、そこは訊いて欲しかった質問です。ツイッターでも、「もっとリリックの分析が読みたかった」と書いていた人がいましたね。
そもそも、リリックに人生が反映されないタイプのラッパーもいるじゃないですか。例えば、サウス系(注 :アメリカ南部、アトランタなどの周辺から生まれたヒップホップのスタイルの一つ。ガールハントやパーティを題材に、下世話にラップすることが多い)とか、「ワッショイ、ワッショイ」みたいに叫んでるだけの曲もあるし、そういうものは、文字に書き起こしても意味がない。その点、今回の人選は意図的に絞られたものなんだろうなって。
うん、やはり、この本を通して言いたかったのは、今、人生に直結できる媒体としてラップがあるってこと。こういう生き方をしてきた人が、こういう詩を書くところまで行けるっていうことを知って欲しかった。歌詞に人生が投影されてなきゃいけないなんてことは、当然ないわけ。でも、辛い人生を送っている人がいる。そして、そういう人が表現をできる媒体としては、今、ラップがいちばんいいんじゃないかと思ったの。それを見せたいから、執拗に生まれ育ちを聞いて、リリックを引用したわけ。
取材は、インタヴュイーの地元の、彼等が思い入れのある場所でやったんですよね?
そう。普通だったら東京に来た時にっていうことになるんだけど、そうじゃなくて、ひとつはリラックスして話してもらいたかったし、もうひとつは、僕もその人の育ったところとか、今いるところの雰囲気を知りたかった。
ちなみに、田我流はどこだったんですか?
YOUNG-G(STILL ICHIMIYAのメンバー)の家だったかな。桃を剥きながら話してくれたっていう。それぞれ、その人なりの場所で面白かったですよ。
で、幼少時代から順番に、根掘り葉掘り聞いていったんですか?
そう。必ず、2~3時間はもらって。だから、皆、「こんなに長いインタヴューは初めてだ」っていうわけよ。だって、普通の音楽雑誌だと、「今度のアルバムはどうですか?」みたいな話になるじゃない。
生い立ちを訊くインタヴューって、代表的なものに『ROCKIN' ON JAPAN』の○万字インタヴューがありますけど、今やロックの人って、普通の生い立ちが多いから、あれともまた印象が違いますよね。
こっちもわざわざ足を運んでいるから、ラッパーの子たちもサービスして話してくれるんだけど、時々、サービスし過ぎちゃう(笑)。でも、皆ほんとによく語ってくれてると思わない? こんな、過去の犯罪歴についてまでさ。もちろん、全員に原稿をチェックしてもらってるんだけど、オッケーって言ってくるわけ。でも、単なるワル自慢をしてるんじゃなくて、彼らもそういう経験があるからこそ、今の自分があるっていうことを分かってるんだと思うんだ。僕だって、不良の証言集がつくりたかったわけじゃなくて、それを通して音楽の力の凄さを知ってほしかったし。そのためには、インタヴューしかないんだよ、批評じゃなくて。僕が音楽論とかラップの解析みたいなことをやってもしょうがないっていうか、それこそ、磯部さんみたいな日本のヒップホップのシーンの中にいる人がやるべきだと思うんだ。
僕はシーンの中にはいませんし、シーンの中に向けて書いているつもりもないんです。逆に、都築さんはシーンの外から中に向けて書いているように感じました。いや、むしろ、これからシーンを担って行くような若者に向けて、かな。そういう子って、小難しい批評じゃなくて、こういったライフストーリーにこそジーンときて、「じゃあ、オレもやってみよう」みたいに思うんじゃないかなぁと。
そうだよね。僕はいつも本を同世代に向けては書いてないんですよ。想定読者というか、こういう人たちに読んで欲しいなと思うのは、自分よりだいたい20歳とか30歳とか下。例えば、今度、狂った老人たちの本を書くんだけど、別に老人に読んでほしいわけじゃない。老人はもういいの、放っておいても(笑)。そうじゃなくて、面白いことをやりたいのに「止めろ」って言われてるような若い人たちが読んで、「狂いっぱなしで行けば、大丈夫なんだ」って思ってくれたらなって。今回もそう。出来上がっちゃた人は放っておいてもいいの。それよりも、苦労してる子って多いじゃん、今。自分の子供の頃と比べて、プレッシャーとか増えてると思うんだよね。そんな子たちに読んでほしい。
この本をつくるということは、現在の若者の、そして、郊外の姿を見て廻ることでもあったと思うんですが、そこから分かったことはありましたか? 今って、どこに行っても同じ風景ですよね。ドンキホーテがあって……。
紳士服の青山があって。インタヴューに指定された場所も、カラオケボックスだったり、バーミヤンだったりしたからね。
だから、ラッパーたちにはそもそもレプレゼントする故郷がないと思うんですよ。そのために、自分の内面を掘り下げざるを得なくて、どうしても、エモい表現になってしまうんじゃないでしょうか。
磯部さんの育った環境はどうでした? 郊外?
千葉の幕張の辺りです。妻を連れて行ったとき、同じような家が延々と並んでいるのに、僕が「ここを曲がって、次はここを曲がって……」とすいすい進むのを見て、「何で分かるの?」と驚かれました。でも、自分には、何と言うか、獣道のような感覚なんですよね。
そうでしょう? 同じ郊外に見えるけど、住んでるヤツにとっては何処か違うんだよね。僕は、やっぱり、ヒップホップっていうのは、都会でもなければ、田舎でもない、郊外型の音楽だと思うの。都会に住む財力もないし、田舎に住むだけのヒストリーもない。そういうところから出てきた音楽っていう感じがする。だから、その生まれ育った風景を見てみたかった。それで、実際まわってみて分かったのは、ラッパーは実家暮らしが多いってこと(笑)。
ああ、ロックは一人暮らしっぽいですもんね。
そうそう、意外と家に帰って、お母さんのご飯を食べてるラッパーが多いことは発見だったね。でも、それを貶してるわけじゃなくて、10代の時はワルかったから、今はちゃんとするっていうか、お父さんの仕事を手伝ったり、地元で働いている子も多い。ファミリーを大事にする感覚はヤンキー的なものと言ってしまえばそれまでだけど、今までのレベル・ミュージックとは違うものがあるんじゃないかな。
でも、この本の中で繰り返し、“ただのヤンキーじゃない”というような言い回しも出てきますよね。
そうだね。ヤンキーっていうものは、やっぱり郊外が生んだ存在だと思うから、ヤンキーが自分たちで持つことができた、初めての音楽って感じがしますね。ヤンキー文化の中から出て来たんだけど、何かを表現する力があったっていうことだよね。ヤンキーってさ、今まで音楽がなかったじゃん。永ちゃんとか好きだけど、それは別にヤンキーが生んだわけじゃない。ヤンキーが好きな音楽はあっても、ヤンキーが生んだ音楽はこれが初めてなんじゃないかっていう気がする。例えば、ヒッピーがロックを生んだような感じで。もちろん、念のため言っておくと、ヒップホップはヤンキーだけの音楽じゃないってところが重要なんだけどね。
ヒップホップの詩人たち、第二弾も期待しています。
第二弾ね……。この本をつくるの、結構体力が必要なんだよ。何と言っても、ライヴの時間が遅いから。「何時から出るの?」「3時半」「えっ」みたいな(笑)。終電後の池袋で、それまでどうしてりゃいいのっていう。でも、読者から「あれも面白いんで取り上げて下さい」って推薦もあるし、新しい人たちも出てきてるし、続けていきたいよね。連載を始めてたった2年くらいだけど、シーンが広がっているのを感じる。
ええ。日本のラップではここ数年、若い人がどんどん出てきてるんで、期待してるんです。他のジャンルもそうですけど。
小説では若いやつらが賞をとっているし、美術だってそうだし、ヒップホップで言ったら、グラフィティも面白いじゃない? いま、僕は日本のグラフィティを取材し始めてるんだけど、ここ数年で新しい段階に入っている。今までは、もろアメリカのパクリで、あまり興味がなかったわけ。それが、すごく日本的なものが現れ始めている。これ(事務所内にある作品を指して)は、朱乃べん君っていう仙台のグラフィティアーティストの作品でね。グラフィティも、やっぱり面白いのは地方なんだよね。板を削って、さらにそこに描いていて。アメリカのグラフティとは全然違う。
僕は直輸入のスタイルも好きなんですけど、シーンが熟して独自の表現が出始めている時期なのかもしれないですね。
絶対にそうだよ。まず、ラップがそうだし、グラフィティもそうで、もしかしたら、ダンスもそうかもしれない。そこがヒップホップの面白さだよね。世界中に一気に広まったじゃない。中国にだってあるし。
アジア、ヨーロッパ、南米、中東、アフリカ……。
世界中にある。で、少しずつ違うっていう。柔軟で幅広い文化なんだって感じがするよね。それこそ北朝鮮にもあるかもしれない。北朝鮮でロックをやろうとしたら、まず、楽器がない、アンプがないってなっちゃうけど、ヒップホップだったらできる。
いまの時代は、間違いなくラップが最もグローバルでローカルなカルチャーですよね。60年代は世界中の若者がビートルズのコピー・バンドを組んでいたように、今は世界中の若者がリリックを書いている。
うん、これだけ、感染力の強い文化ってなかなかないよ。
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新潮の連載はほぼ毎号立ち読みしてました(本は買いました)。slackがNGになったのは残念ですね。僕も数年前から日本語ラップにハマりだしたのですが、何よりも日本にこんなにラッパーがいた、ということに驚きました。
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