インタビュー:ROJO REGALO

南米原産のラテン音楽、クンビアに挑む大阪の“クンビア忍者”たち

インタビュー:ROJO REGALO

南米コロンビアを故郷とするラテンダンス音楽、クンビア。近年世界中で再評価されているこのラテンビートをユニークなスタイルで打ち鳴らしているのが、大阪の“クンビア忍者”ことROJO REGALOだ。大阪の人情味と熱いスピリットがたっぷり詰まった唯一無二のクンビアサウンドは、各地ですでに話題沸騰中。そんななか、2010年12月にタイのバンコクで行われたパフォーマンスを収録したライブアルバム『LIVE & LOVE IN BANGKOK』が登場。なんとも人懐っこいその音楽世界の謎を探るべく、リーダーのPICO中島(トレスギター、ドラムス、パーカッション)と、“キョンキョン”という愛称でも呼ばれる荻野恭子(ボーカル)の2人に話を訊いた。

ROJO REGALOが結成されたのは2006年ですよね?

PICO中島:そうですね。大阪の十三という場所にChat Hummingsというライブバーがあったんですけど、そこでいろんなミュージシャンと知り合ったのがきっかけで。そのなかにめちゃうまいギタリストがいて、それがマリの助(現ROJO REGALO)だったんですよ。ちょうど僕が(ROJO REGALO以前に在籍していた)COPA SALVOを辞める・辞めないっていう時期で。それと、同時期にDEGURUTIENIっていうバンドのサポートをやってたんですけど、そこのメンバーだったDAIちゃん(ベース/現ROJO REGALO)とキョンキョンとオレ、マリの助の4人で、中南米のレストランで演奏してるようなラテンバンドをやりたいなっていう話をしてて。

荻野恭子:トレスギターとウッドベース、それに歌っていう編成で、Chat Hummingsなどのバーでライブを始めて。その当時はブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブが大好きだったんで、彼らのカバーもやってました。

PICO中島:カバーのほうがお客さんが喜んでくれますからね。

じゃ、Chat Hummingsというお店が重要だったんですね。

PICO中島:ま、ロックやジャズ好きのおっちゃんたちが溜まってたバーなんですけどね。

荻野恭子:酒を呑んで楽器を鳴らすのが好きな人たちが集まる場所というか(笑)。

大阪にはそういう場所が結構あるんですか?

荻野恭子:多いですね。みんなバンドやってんねんけど、音の問題でやれる場所も限られてくるんで、知り合いのバーとかレストランでアコースティックのライブをやることもあります。機材が揃ってなくても、どこでもできるような雰囲気が大阪にはあるんで。

PICO中島:十三には立ち呑み屋も結構あるんですけど、いきなりギター持ってきて演奏を始めるおじいちゃんとかもいて、そういうのが普通の街なんですよ。憂歌団の木村(充揮)さんとかブルースの先輩方が地元のバーなんかで演奏し続けてきたんで、そういう環境があるんでしょうね。

そういう場にラテンは合いますよね。

PICO中島:そうそう、気取ってないですからね。友達の誕生日にちょっと演奏したり、そういうノリ。

じゃ、最初からラテンバンドっていうイメージはあったんですね。

PICO中島:ただ、最初から“バンド”っていう意識はあんまりなくて、むしろ“ユニット”っていう感じですよね。どこでもすぐに演奏できちゃうような、チンドン屋みたいなユニットをやりたくて。

荻野恭子:さっきも言ったブエナ・ビスタの存在がやっぱり大きくて。ちょっと大人な、弦楽器を使ったラテン音楽をやりたかったんです。やってるうちにクンビアにハマってきて……。

最初のほうがキューバ音楽色が強かった?

荻野恭子:うん、そうですね。あと、最初のころのほうが大人っぽいものをやってたかな。背伸びしてる感じ。

PICO中島:演奏が終わるたびに“ああ、この曲はもっと年を取らないとできへんな”と思ってた(笑)。

荻野恭子:それがメンバーが増えていくうちに“等身大の音楽をやっていこう”という流れになってきて。キューバ音楽と比べると、クンビアって(演奏するのが)簡単なんですよ(笑)。で、“私たちのやりたいことを伝えるのにはクンビアのほうが向いてるよね”と思うようになって。

PICO中島:電気楽器を用いてラテン音楽をポップスにしようとしたとき、クンビアだったらできるぞ、と。

そもそもクンビアに出会ったのはいつごろだったんですか?

PICO中島:キャバレーでドラムを叩いていた親戚のおじさんがいて、子供のころ、その人に映画のサントラやオムニバスなんかを聴かせてもらってたんですよ。そのなかにクンビア的な曲が入ってたと思うんですよね。子供ながらに非常にダサイと思ったんですけど(笑)。そのあとCOPA SALVOをやってたころ、オーセンティックなクンビアが入ってたレコードも聴くようになって。でもね、子供のころのトラウマがあったのか、やっぱりダサイと思ってて。ROJO REGALOを始めてからは、ヨーロッパのクラブなんかでクンビアが流行ってるっていうことを聞いて、いろいろ聴いていくなかでパンク・クンビアみたいなものに出会っていくんですよ。ダマス・グラティスやクンビア・クイアーズといったバンドに(註:ダマス・グラティスはアルゼンチンのスラムで人気を得ているクンビア・バンド。クンビア・クイアーズはアルゼンチン人/メキシコ人の混成パンク・クンビア・バンド)。それに衝撃を受けてしまいまして。新しいラテン音楽と出会った感じがあって、ハマってしまったんですね。だから、ROJO REGALOの最初のころの楽曲構成はダマス・グラティスとかクンビア・クイアーズにすごく似てたと思うんですよ。お手本にしてましたから。

荻野恭子:それまではクンビアといっても、いなたい南米のトラディショナルぐらいにしか思ってなかったんですけど。

PICO中島:ただ、もともとラテン楽器に触ってたんで、クンビアをやってもレゲエぽくはならない自信はあって。

荻野恭子:そうそう。日本人がクンビアをやるとレゲエになってしまうんじゃないか、と思ってて。レゲエじゃなくてラテンを感じさせるものをやりたかったから。

PICO中島:なおかつ新しいものをやりたかったんで、いくつもの音楽をミックスすることで新しいものを表現できるんじゃないかなと思ったんですよね。キョンキョンの持ってる演歌的な部分と、僕らのやってきたラテン音楽の要素をミックスすれば新しいものができるんじゃないかって。メロディーとリリックスの内容がばっちりハマって、一度聴いたらその言葉が勝手に頭のなかに入ってくるような……。

荻野恭子:外国人が和太鼓を叩いていたら少しおかしな風景になるんやけど、その国のアイデンティティが出てたら格好いいと思うんですよ。そういう感じで、ラテン音楽を単にカヴァーしてる日本人バンドみたいにはしたくなかった。クンビアはすごく日本語が合うしね。昔の昭和歌謡なんかを聴いてても、クンビアのリズムを取りながら聴いちゃう。

なるほど。ROJO REGALOはヨーロッパでもツアーをやってますが、いつのことでしたっけ。

荻野恭子:2009年ですね。

PICO中島:僕らはその前、2006年にDEGURUTIENIでも行ってるんですよ。今はROJOで一緒にやってるベースのDAIちゃん、トロンボーンのスミ(トモアキ)ちゃん、キョンキョンもいて。そのときにROJO REGALOとしてアコースティックでちょっと(ライブを)やったりもしたんですけど、バンドとしてちゃんと行ったのが2009年ですね。

荻野恭子:そのときは主にベルギーのブリュッセルを中心に。カフェだとか、フランス人のお金持ちの別荘とか。向こうのノリはイイですよ、みんなめっちゃノリノリで。

PICO中島:アホばっかりで最高です(笑)。サービスとしてブエナ・ビスタの曲をやると、みんな歌ってくれるし。

荻野恭子:みんなパーティーが大好きやから、楽しみ方を知ってはる。大人が遊んでるよね。

PICO中島:2009年のベルギー~フランスでもクンビアはめっちゃ流行ってた。コロンビアからクンビアのバンドも来てたし、地元のクンビア・バンドもおったし。あと、ベルギーで地元の人に「この前日本人のバンドがライブをやったんだけど、最高すぎてCD買っちゃったよ!」って見せてもらったCDがSOIL&“PIMP”SESSIONSのアルバムだったり。SOIL、向こうでも大人気やったな。

で、2010年12月にタイのバンコクで行ったパフォーマンスを収めたライブ盤『LIVE & LOVE IN BANGKOK』がリリースされたわけですが、どういう流れでバンコクでライブをやることになったんですか?

PICO中島:ティンバレスのSHINOBUくんの友達がバンコクにいて、その彼が今回のライブ盤を出してくれたRUDIMENTSのG.N.Tくんと繋がってたんですよ。そういう流れで全部が繋がって。

荻野恭子:ベルギーで会ったミュージシャンがバンコクに長期滞在してて、彼にも“バンコクにおいでよ”って誘われたり……これは導かれてるなと。

バンコクでのライブはいかがでした?

PICO中島:向こうは人も温かいですよね。ノリもいいし。

荻野恭子:盛り上がったし、みんな元気ですよね。それと、向こうに住んでる日本人も多いし、彼らが向こうのクラブとかでシーンを作ってるんですよ。エネルギーを感じましたね。

PICO中島:向こうでは一週間滞在してる間に4日ライブをやりました。オシャレなレストラン・バーとかクラブとかで。

音楽性だけじゃなくて、活動も各国に股がってきてるし、いろいろな形でミックスしてきましたよね。

PICO中島:そうですね。2011年は9月にもヨーロッパに行くんですけど、関東や九州を回るのと同じ感覚なんですよ。その土地に友達がいれば、どこにでも行ける。海外という意識があんまりないというかね。

ROJO REGALO『LIVE & LOVE IN BANGKOK』(RUDIMENTS)


テキスト 大石始
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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