インタビュー:ファットボーイ・スリム

(ビッグな)ビートを失わずに、禁酒の仕方をどう覚えたのか

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インタビュー:ファットボーイ・スリム

1990年代後半、ノーマン・クックはこの世で一番幸せな男だった。『Right Here, Right Now』や『Praise You』といったビッグ・ビートサウンドのヒットシングルが、ラジオやダンスフロアでは常に流れていた。海外のフェスにでかければ、派手なTシャツ姿の群衆たちの熱狂に迎えられた。

だが、そんなステージから離れた場所で彼の生活に忍び寄る影があった。クックが長年にわたり抱えていた問題が、“ファットボーイスリムの飲酒問題”として深刻化していたのだ。彼は以前、ファットボーイ・スリムでいることとクックでいることは「アロハシャツの趣味が悪くなるのと、もうボトル半分のウォッカを追加するぐらいの差でしかない」と言ったことがある。飲酒問題は静かに彼の生活に忍び込み、彼の妻でありイギリスのBBCラジオのDJであるズー・ボールを心配させた。2009年、クックはアルコール中毒を克服するためにリハビリ施設に入り、DJ人生に一時的ではあるが終止符をうつことにした。パーティは遂に幕を下ろしたかのようにみえた。

だが、世界のダンスミュージックファンにとっての朗報が届いた。そうでなければこの記事を書く意味がない。クックは人生を建て直し、東京のBIG BEACH FESTIVAL'11に登場する。さらに、クックの長年のプロジェクトであった、トーキング・ヘッズの創立者、デヴィッド・バーンとの共作『Here Lies Love』も完成させた。フィリピンの大統領夫人、イメルダ・マルコスの人生を主題にした作品だ。クックは音の悪い国際電話でインタビューに答えた。プロジェクトの完成は多難を極めるものだったようだ。「デヴィッドがフィリピンでリサーチをしている時、(マルコスの)取り巻きが彼に近づいて、すぐに国を離れろと脅してきた。彼女はこのプロジェクトを歓迎していないと」。だが、クックはこの脅しを特に気にもしなかった。「デヴィッドはすでに伝説的人物だ。イメルダ夫人に消されるなんてことになれば、しめたものだ」と彼は小さく笑い、「最後の新曲にも使える。デビットが天使に抱かれて空を舞い、“人生、一度はマニラの穴にはまることもある…”と歌うんだ」と続けた。

クックはデヴィッド・バーン以外の著名人とも仕事をしてきた。これまでに共作を発表したアーティストには、デーモン・アルバーン、メイシー・グレイ、 ディジー・ラスカルなどが名を連ねている。こうした人物と仕事をすることは、彼にさらなるやる気を与えた。「この数年間、僕は(サイドプロジェクトの)ブライトン・ポート・オーソリティーをやる中で、奇妙な人にたくさん会った。ある日、家で寝ているとゾーがベッドにやってきて“イギー・ポップが台所で朝食食べてるはどういうこと?”と聞いてくるんだ。だから“ああ、一緒に曲を作ってるんだけど、時間がかかりそうだから数日泊まってもらうことにしたんだ”って答えた。彼はとても親切な人物だ。今までうちに泊まったお客さんの中でも、よかった人のひとりさ」とクック語った。パンク界のゴッドファーザーを一番お気に入りのハウスゲストと呼べるのは、セレブの世界に慣れきっている証拠だ。「それに彼はとてもキュートなんだ。ワインを数杯飲んだ後、彼とデヴィッド・ボウイの70年代の素晴らしい物語を延々と語ってくれたよ」と加えた。

ノーマン・クックの未来は明るい。人生はレール上に戻り、酒がなくてもファットボーイは彼の中で生き続けている。それは彼の意向ではないのかもしれないが…。「拭い去ろうとしても拭いきれなかったんだ」と彼は笑う。「アロハシャツを脱ぎ捨てても、僕は僕だ。ファットボーイ・スリムなんだ。街を歩けば、人々は“やぁ!ファットボーイ!”と声をかけてくる」。だが、彼はそれを悔やんではいない。「心から楽しめて、食卓に食べものを並べられて、息子に靴を買い与えられれば、僕は幸せだ。それに他のことは何もできないからね。朝起きて、服を着て、命令されたことだけをやるなんて、まっぴらだ」とクックは締締めくくった。その通りだ、ノーマン。

ファットボーイ・スリムは6月4日(土)に海浜幕張公園で開催されるBIG BEACH FESTIVAL'11でトリを努める。



By ジェームス・ウィルキンソン
翻訳 佐藤環
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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