インタビュー:長坂常

『メグロアドレス』展に参加中の建築家が語るメグロと東京

インタビュー:長坂常

Photo by Takashi Kato

目黒区美術館で『メグロアドレスー都会に生きる作家』が開催中だ(2012年4月1日まで)。目黒区は東京23区の西側に位置し、サブカルチャーやストリートカルチャーの発信地である渋谷区、ハイエンドなカルチャーが根づいている港区と隣接し文化的に豊かなエリアを構成してきた。'90年代からカフェやインテリアショップ、昨今では現代アートを展示するギャラリーなども多く軒を連ね、メグロ独自のカルチャーを発信してきた。 『メグロアドレスー都会に生きる作家』には、それぞれ目黒区美術館のある東京都目黒区に現在あるいはかつて住んだことがあるか、あるいは同区にアトリエをかまえる1970年代生まれの写真家、彫刻家、建築家など6名のアーティストたちが参加している。都会に生きる作家たちならではの都会的なウィットをともなう、どこかドライでクールな表現が、東京という都市のいまの姿を浮きぼりにしていく。 今回は出展作家の中から、中目黒の駒沢通り沿いにあるシェアスペース『HAPPA』で活動するスキーマ建築計画代表の長坂常氏に、出展作品の制作途中に話をきいた。

メグロで創作活動をすること

― 長坂さんは目黒区内に自身の事務所、現代アートギャラリーなどのシェアスペース『HAPPA』を構えていますが、目黒とはどのような縁があったのですか?

長坂:もともとは世田谷区に住まいと事務所があって、いまの事務所がある『HAPPA』を中目黒の駒沢通り沿いに開設するときに目黒区に越してきた経緯があります。ですので目黒にいるという特別な思いよりも、どちらかというと、気がついたら越境していた感じの方が強いです。

― 中目黒といえば、今回の展覧会場である目黒区美術館にも近いエリアですが、1990年代以降はカフェや家具屋などがたくさんあったり、サブカルチャーの発信地というイメージあるのですが、長坂さん自身は中目黒はどのように思っていましたか?

中目黒にあったそのカルチャーの流れは知っていたけど、僕自身はそこで何かをしていたというわけではありませんでした。たまたま中目黒にも近い三宿、下馬エリアに住んでいて、子供も生まれたこともあり、住んでいる場所よりは都会で、かつ自宅からも近い場所に拠点をもちたかったということで決めています。だから当時もし青山に住んでいたら、その場所は青山だったかもしれません。

いまこの展示のための作品制作をしているのですが、それをやっていていいなあと思うのは、制作途中の少しの合間をみて、事務所に戻れたりすることです。そのローカルな美術館というイメージにそった美術館だとこの目黒区美術館を見て思いました。あまり聞こえが良くないかもしれませんが、集会場のような美術館でその特徴はもっと積極的に利用すべきで今回のテーマはこの目黒美術館にとってとてもよいと思います。

メグロという地域性

― 目黒の地域性みたいなものはどのようにみていますか?今回の展覧会は都会をテーマにしたアート展ということですが、目黒やこのエリアだからこそ成立するのかなと思うのですがいかがですか。

長坂:やはり、都会と言っても先にも述べたようにローカル性は強いです。目黒の住宅と言えば都会ですが、美術館というと少し生活感を帯びた地域ゆえ、ローカルともとれます。実際、美術館のスケールとしても小さくちょうどいい感じです。

― 駒沢通り沿いにある『HAPPA』について教えてください。車通りも人通りもある道路に面した一階、ガラスばりのオープンなファサードと、街に対して開かれた印象がありますが、ご自身でリノベーションを担当されたそうですが、当初から街とのつながりは意識していたのでしょうか?

長坂:あまり難しいことは考えていないのですが、ギャラリー(青山秀樹主宰による青山|目黒)と場所をシェアしていたので、通りから中が見えた方が人も入りやすそうだし、良いだろうとは思っていました。でもしばらくしてそれも間違った考えだと思いました(笑)。本来ギャラリーであれば、作品を展示するため壁が多いほうが良いし、壁も白いほうがいいとセオリーが決まっています。だけど「誤用」といいますか、結果的にその判断が間違っていたからこそ良かったし、面白いスペースになったと思います。 あと、先の目黒区美術館と同様、青山のギャラリーと目黒のギャラリーの違いはローカル性だと思います。お出かけモードというより、帰り道だったり、お休みモードが強いギャラリーでその辺が目黒区美術館と共通だと思います。

建築家からみた“東京”の風景

― 都会で活動する建築家である長坂さんに、都市との関係で街というものについてのお考えをうかがいたいと思います。長坂さんは、つねづね東京というこの混沌とした都市の風景に対し、それは本当に美しくないのか?という問いを発しています。どのようなきっかけでそのよう思われたのでしょうか?

長坂:『Sayama Flat』(埼玉県狭山市にある築30年のマンションのリノベーション)の仕事をしたことがきっかけですね。このマンションを内見したときから思い込んでいた、どうしょうもなくて全部壊したほうが良いという既存の空間やインテリアに対する思いが、いざ実際にひとつずつ解体し始めると、壊しながらも壊さずに残っているものが意外とカッコ良く思えてくるという体験をしました。

そのときから、戦後半世紀ほどの時間をかけてなかば暴力的に、なんの脈略もなくつくられたがゆえに美しくないといわれている東京の風景が、はたして本当にそうなのかと疑問を持ちました。

最近では、ヨーロッパの都市のように何世紀もかけてつくられてきた風景と、ここ数十年で急ごしらえのようにつくられてきた東京のような風景を、比較することすら可笑しいと思うようになりました。僕は、ヨーロッパのように王様のような一人格に近い限られた人格によってつくられてきた都市の風景と、東京のような、一度完全に破壊され、民主主義がゆきわたった比較的自由なシチュエーションといった時代背景から生まれてきた都市というのは、そもそもまったくことなっていると思っています。

考え方を変えると、東京という都市は戦後、民主主義が浸透したこの時代背景において造られた世界に例のない最新型の都市ということもできるわけです。そう考えると東京のこの混沌としているけど多様な風景というのも面白く肯定的にみえてきます。

そのように僕たちが暮らしているこの都市の状況をポジティブにとらえていくことで、本当に良くなっていく可能性があると僕は思っています。

― なるほど。今後経済発展を遂げていくであろうアジアの都市というのは、戦後、日本の都市が経験してきたようないい面も悪い面も歴史は繰り返すではないですが、ある意味辿っていきつつ都市化していくのかもしれませんね。

長坂:そうですね。アジアの都市は、かつてのヨーロッパの都市のような一人格に近い統一された意志によってつくられることはまずないと思います。日本はある意味、この誰もが等しく平等であるという民主主義時代に生まれた都市という意味では、新しいモデルとして先がけになっていると思います。

都会で暮らすこと

― 震災以後、東京に暮らすことについて長坂さんはどのようにお考えですか?たとえば福島の人たちほどではないにしても東京でも放射線の影響は少なからずあり、それを理由に西の方に転居する人も増えていたりして、東京に家を新築することや、東京で暮らすことになかなかポジティブになることが出来ない状況にあると思います。都会に暮らすわれわれは今後どのように、東京という都市に向き合うべきだとお考えですか?

長坂:放射能のことについてはどのように考えてもポジティブに変換しようがないと思いますが、それ以外のことについては考えなければならない問題はあると思っています。

最近思うのは、下北沢や代々木上原など、都心にはまだまだ混沌とした表情を残しながら、それが街としての魅力となっているエリアがいくつか残っています。ですがそれらの街は、利便性やセキュリティの問題、ただ古いというだけで、再開発の対象になることも多いというのが現状です。ただやみくもに古いものを取り壊すことを否定するわけではないのですが、それらの街が長い時間をかけて築いてきたものの良さと、僕ら建築家も向き合う方法を考えなければいけないと思っています。

― 確かにそうですね。僕は東京の下町生まれなのですが、電線が街中にはり巡らされ、建物に統一感がないこの風景を肯定的にみることができたきっかけがあって、それは何かというと、アーティストや芸術家と呼ばれる人たちが、それまで見ていた都市の風景というものを、思いもしなかったような視点で写真や、映像で描いてみたり、表現しているのをみたときに、まんざらこの風景も捨てたものではないと思いました。 何よりも日本の都市の風景は、僕らがそこで生まれ育った原風景なわけで、そもそも肯定も否定もしようがないわけです。そのような既存の都市に対する、あたらしい視点や気づきとの出会いを今回の展覧会で発見できたらいいなと僕は思っています。

『メグロアドレスー都会に生きる作家』で展示される長坂さんの作品について教えていただけますか。

長坂:今回一緒に参加している作家さんの顔ぶれをみていただければ分かるのですが、皆さん絵や写真など素晴らしい作品を手がけている方ばかりで、僕がこの場所で何かをするにはハンデがありすぎでした。

そんななか、僕が作品をつくる場所として選んだのは、いわゆる展示スペースではなく、この美術館の建物のなかで唯一スタッフとお客様の動線が繋がっている場所ともいえる、階段の裏手にある吹抜け空間です。この場所は、いまはあまり使いかたも明確でないような、半分倉庫のように使われている場所でした。この場所を初めてみたときに、ここだと思いました。そもそもこの目黒美術館はもっと地域の中に溶け込み、生活の中にアートを取り込ませる仕掛けをどんどんして行くべき美術館と思っていますので、そういう意味で来客者だけでなく、周りで生活している人達に刺激を与えるような企画が打てればと思ってました。

― メタなヒューマンな状況をつくりだそうとしているのですね(笑)。それと美術館の吹抜け空間の壁面を白く塗装していますが、直接塗装されているのですか?

長坂:パネルを建てるなどせずに、美術館の壁にダイレクトに塗装をしています。これは今回新たな発見だったのですが、膜性の強い車の塗装などに使われる養生剤を下地に塗り、その上に塗装をすると、剥がしたいときにガムテープで養生剤ごと塗装を剥がすことができるんです。

― 公共の美術館の壁に直接塗装をするとはアイロニーというか、ものすごくユーモアがあって面白いですね。その養生剤をパブリックアートの下地にする手法というのは、今回長坂さんが使われているようなアートとして使用されていた例はあったのですか?

長坂:ないと思います。今回は白いペンキを塗っていますが、これがうまく使われれば、大きな壁にもテンポラリーに絵を描くことができます。今回の展示会期中にも子供たちなどと一緒にワークショップを出来れば良いですよね。壁への絵の描き方を小学校で教えたら、世の中のいたずら描きはなくなるんじゃないかと。

インタビュー・テキスト 加藤孝司
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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