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2014年05月29日 (木) 掲載
サッカー大国ブラジルにおいて、サンパウロがその発祥の地であることを誇れるのはひとえにチャールズ・ミラーのおかげだ。スコットランド人の父、ブラジル人の母を持つミラーが、英国の旅から二つのサッカーボール、一組のサッカーシューズ、ユニフォーム一式、ルールブックを持ち帰ったことから伝説を生まれた。文献によると、ブラジルの地で初めてサッカーの試合が行われたのはミラーの生まれた街の近郊、ブラス。サンパウロガス社とミラーが勤務していたサンパウロ鉄道の従業員の間で行われた。すぐにこのスポーツはプレイヤーの心を捉え、20世紀に差しかかる数年の間に、労働者階級の人々やサンパウロの街を分断する川の氾濫区域に住む人々の間で、急激に競技人口を増やしていった。
サンパウロの主要なクラブチームもこの時期に結成され、以降数十年間、この街を栄光の街として彩った。コリンチャンスは1910年、イタリア系移民、スペイン系移民によってボン・ヘチーロに創立された。当初『パレストラ・イタリア』と呼ばれたパルメイラスは1914年、イタリア系移民によってバハフンダに創立された。中堅クラブ・ポルトゲーザは1920年、サンパウロのポルトガル人コミュニティによってサッカー発祥の地、ブラスに創立された。
サッカーはすぐに裕福な階級の人々の注目も集めるようになり、高級スポーツクラブ、クルービ・パウリスターノが1900年ジャーディムアメリカに結成されたのと同時に、同クラブのサッカーチームとして、クルービ・アトレチコ・パウリスターノが創立された。そして1930年、このクラブで反対意見を持っていた人たちが現在この街最大、つまりこの国最大のチームのひとつサンパウロを創立した。
それから80年を早送りすると、ワールドカップ熱は高まる一方だ。ブラジルリーグもワールドカップ期間中は中断され、サンパウロのスタジアムは常に新聞の見出しに登場する。パルメイラス・アリアンツ・パルケ、かつてパルケ・アンタルチカやエスタジオ・パレストラ・イタリアと呼ばれていたスタジアムは、改築の最終段階に差し掛かっている。2014年中旬にオープンする45,000人収容施設だ。パルメイラスについての博物館も併設される。
しかしもっと大きな話題は、コリンチャンスとそのホームスタジアム、アレーナ・コリンチャンスだ。パカエンブを仮のホームとしていたが、今後はこのスタジアムがコリンチャンスのホームとなるだろう。2013年のコンフェデレーションズカップ時には街で一度も試合が行われなかった空白を取り戻すかのように、ここでワールドカップの初戦が催される予定である。
伝説の選手:ソクラテス
ニックネーム:チモン
タイトル:FIFAクラブワールドカップ優勝2回(2000年、2012年)
ホームスタジアム:アレーナ・コリンチャンス
豆知識:2012年のFIFAクラブワールドカップ時には、3万人ものサポーターがコリンチャンスの勝利を願って日本を訪れた。
伝説の選手:マルコス
ニックネーム:ベルダオ
タイトル:コパ・リベルタドーレス優勝1回(1999年)
ホームスタジアム:アリアンツ・パルケ
豆知識:ペレが所属していたサンパウロサントスも、 黄金時代の1960〜1973年の間には6回の国際タイトルを手にした、パルメイラスには歯が立たなかった。
伝説の選手:ロジェリオ・セニ
ニックネーム:トリカラー・パウリスタ
タイトル:FIFAクラブワールドカップ優勝3回(1992、1993、2005年)
ホームスタジアム:モルンビー
豆知識:5回のブラジルワールドカップ優勝時チームのプレイヤーが所属していた、ブラジル唯一のクラブだ。
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