トラベルコラム:テルアビブ

モダンで常に進化しているテルアビブでのある一日

The Israel Ministry of Tourism

すばらしい。今日のイベントはレズビアンパーティーだ。フロア中に、テクノサウンドが爆音で流れている。ウエイターがジンマティーニを持ってきてくれた。ここは、イスラエルのテルアビブにあるザ・ミュージック・ルーム(The Music Room)というクラブだ。有名なディゼンコフ街から徒歩で5分ほどのところにある。まだ夜は始まったばかりだ。いや、シャバット(ユダヤ教の安息日)の夜が始まったというのが正しいだろう。金曜日、地中海へ沈む素晴らしい夕焼けが見られる頃、一般的なユダヤの人々は、家で家族とゆったりした時間を過すのだが、テルアビブだけは特別だ。人々は家に帰らず、クレイジーなぐらいに街が盛り上がる。

昼間もエキサイティングだった。朝は、カルメル市場(Ha Carmel Market)を歩いた。パロディーTシャツや美味しい食事などを売る売り子の声が響き渡り、多くの客でとても賑わっている。この市場は、地元の人の雰囲気をすぐに把握するのにはもってこいの場所だ。活気があり過ぎて、地元の人たちが少しぶっきらぼうに見えるかもしれないが、おそらく何か急いでいることがあるのだと思っておこう。

市場のカオスを離れ、次は、シェンキンストリートへ向かった。60年代ヒッピーのような解放的な雰囲気と、最新の流行がミックスされたショッピング街だ。テルアビブは進化しているモダンな都市だ。それは、多くの高いビルが建つ摩天楼が証明している。しかし、元々は聖書に出てくるような砂丘の一画にすぎなかった。だがそんなテルアビブも2009年には誕生100周年を迎え、多くのイベントが開かれた。

建築を楽しむ

イギリスがテルアビブを委任統治していた1920年代から30年代の間、テルアビブは最初の建築ピークを迎えた。この頃、バウハウスの影響を受けた特徴的な建物が集まるホワイトシティができた。ホワイトシティを訪れた後は、ネヴェ・ツェデック(Neve Tzedek)地区に行くといい。ここは、港町ヤッファの北側に最初に築かれた、最初のユダヤ人地区だ。カフェやデリ、本屋などを楽しみたい。近くには、この地区を築いたサイモンロカシュの、1887年に建てられた家があるので見逃さないようにしよう。

付近にあるのは、ユダヤ文化だけではない。1948年の戦争でヤッファに住むアラブ系の多くの人々が土地を離れたが、オールドヤッファエリアには、まだアラブ文化が残っている。老人たちはモスクで祈っている。そして、パレスチナ文化を引き継ぐアラブ系の味といえる、ファラフェルを食べよう。ここで満腹になり、テルアビブの中心部に向かうのが良いコースだ。

バブルの中の都市

テルアビブは、イスラエルの他の都市やエルサレムなどが抱えている宗教的緊張とは距離があるので、ザ・バブル(泡の中にある都市)とも言われている。正当派ユダヤ教徒たちが街で祈りを捧げている一方、日が暮れだすと、ポールダンスをする下着姿のモデルたちがいるような大きいクラブがオープンする。そしてバーも活気に溢れる。(服を着た)女性たちがバーカウンター上で踊り賑わっている、ナヌーチカ(Nanuchka)というバーはおすすめだ。フードはグルジア料理を楽しめる。飲み物は当然、ウォッカだ。中東でグルジア料理というのは変だと思うかもしれないが、この街には、世界のユダヤ人が集まっているということを認識できるという意味では、とても面白い。

午前3時、ディゼンコフ街に戻った。この夜一番良かったバーは、223だ。このエリアは1960年代、70年代、とてもワイルドだった。“ディゼンコフを歩く”という意味のヘブライ語が、良い時間を過ごすという意味のスラングとして成立しているぐらいだ。バーに入ると、いいタイミングで、ある女性が話かけて来た。しかし、バーの男性客が間に入ってきて、3分もしないうちに、そこにいたみんなを敵に回すような議論に巻き込まれてしまった。イスラエルの激しい一面を知ることができた、よい経験だった。普段は“バブル”の中にいるんだろうが、熱くなると、テルアビブの人々だってとても“イスラエル人らしい”振る舞いをするのだ。

原文へ(Time Out Travel)

原文 マイケル・ホッジス
翻訳 東野台風
※掲載されている情報は公開当時のものです。

タグ:

この記事へのつぶやき

コメント

Copyright © 2014 Time Out Tokyo