インタビュー:石野卓球

日本のテクノスターが語る DJ、プロデューサー、バンドとしての音楽活動

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インタビュー:石野卓球

たとえば数ヶ月間、東京のクラブシーンを渡り歩いたならば、きっと石野卓球に出くわすチャンスがあるはずだ。DJ、またプロデューサーとしての顔を持ち合わせる、44歳の国内で最も有名なテクノミュージシャンは、現在もほぼ毎週どこかの都市でプレイし、これまでに数えきれないほどフェスへの出演を果たしてきた。自身がオーガナイザーを務める、毎年8月に開催されている国内最大級の屋内レイヴ『WIRE』、そしてプロデューサー、ヴォーカリストとして長年活動を続ける電気グルーヴなど、その活躍は多岐にわたる。ひょっとすると、海外ではケン・イシイの方が名前を知られているのかもしれないが、石野はここ日本で、その人気と実力を培ってきた。

海の日の前日、2012年7月15日(日)には、ファッションと音楽を融合したイベント『TOKYO FASHION FUSE 6』への出演が決定している。当日、会場となるWOMBのステージには、イタリアのバイクメーカー『ドゥカティ』社のニュー・モデルが登場。さらにはファッションモデルが花を添えるなど、いつもとはいささか違った状況の中でのプレイとなりそうだ(ちなみに、昨年はケン・イシイがゲストとして出演している)。またその後も『フジロックフェスティバル』、『ライジング・サン・ロックフェスティバル』、『WIRE12』への電気グルーヴとしての出演など、例年通りの多忙な夏を駆け抜ける予定。そんな今夏のイベント出演や電気グルーヴの活動についての質問に、フレンドリーに受け答えする石野だったが、話が彼のDJセットやプロダクションワークに及ぶとテーブルに置かれたレッドブルを一気に飲み干し、熱く語ってくれた。今回のインタビューは、10分を少し超えたところでお開きとなった。

― 今夏のフェスティバルには、KRAFTWERK、THE STONE ROSES、NEW ORDERなど、石野さんが影響を受けたと公言されているアーティストの来日が予定されていますが、そのような初期の影響について少し聞かせてもらえますか。

石野: いま名前が出たKRAFTWERK、NEW ORDER、DEPECHE MODEとか80年代のニュー・ウェーブとかエレクトロポップが大好きで、最初DJをはじめる前に自分でバンドをやってたんです。OMDとかDEPECHE MODEのコピーバンドを友達と2人でやっていて、それが音楽をはじめたきっかけですね。

― その頃はレコードなどもリリースされていたんですか?

石野: いや、出していないです。僕がまだ高校生の頃、16歳とかそれぐらいのときでした。その頃はシンセサイザーもまだすごく高くて、なかなか買えなかったので手持ちの安いキーボードなんかを代用してやっていました。

― その時代のバンドがもう一度復活するとしたら、どんな気分でしょう?

石野: 懐かしいなぁと思うんだけど、実際見ると結構ガッカリすることが多いです。やっぱりね、時間が経ってるなぁと言うか、今聞くと古いなぁとかありますね。見なければ良かったとかね(笑)。

― 石野さんが毎月『WOMB』で行っているパーティ『STERNE』が先日10周年を迎えましたが、はじめた当初と比べて何が変わったと思いますか。

石野: 一番変わったのはやっぱりお客さん。もちろんパーティはあったけど、10年前は今ほどいっぱいはなくて。今は毎週末どこかしらで、テクノだけでも何十っていうパーティがあるじゃないですか。そこが一番変わってきたところですよね。やっぱり10年も経つとお客さんも変わってくるんで。新しいお客さんが来て、来なくなったお客さんもいて。そうやって常にまわっているんで、これだけ長く続けてこれたと思うんですけど。それはすごく良いことだと思います。

― はじめたときと現在を比べて、テクノの人気の盛り上がりについてはどう思いますか。

石野: どうだろうな? あんまり増えてきたとか減ってきたとは感じないですかね。いま言ったように来なくなる人もいれば、その反面、新しく来るようになる人もいるので。大体の人数はそんなに変わってないですね。

― 今年はフジロック、ライジングサン、WIREにも出演されますが、電気グルーヴのフェスでのステージを、何か特別なものにするつもりなどありますか。

石野: 来週からリハーサルをはじめるんでまだそんなにはっきりとは決まってないんですけど、ライブのメンバーが新しいメンバーになったんで。

― それは誰ですか。

石野: agraphというアーティスト。彼が手伝ってくれることになって。彼が入ってフェスへの出演というのははじめてなので、今までとはちょっと変わった感じになると思うんですけど。

― 『WIRE』に出るのは何年ぶりですか?

石野: 4年ぶりです。今年は久しぶりに電気グルーヴのシングルも出たし、やるのもいいかなと。

― あるインタビューで、電気グルーヴとDJの活動は区別されているとおっしゃっていましたが、石野さんのDJ活動に繫がるWIREというイベントに、前回、電気グルーヴが出演した際は、どのような反応がありましたか?

石野: WIREで電気グルーヴをやるときは、普段の電気グルーヴのライブとちょっとスタイルが違うんですね。ボーカルとかあまり入れずに、イベントに合うようなセットにしているんで。そういうセットはWIREだけでしかやってない、エクスクルーシブです。

― もっとハードな感じ?

石野: そうですね。もっとダンス寄りなセットになります。

― 今年のWIREに出演するアーティストの中では、誰を一番楽しみにしていますか。

石野: ROBERT HOODですね。はじめてだしね。

― 7月15日の『TOKYO FASHION FUSE』というイベントに出演されますが、去年の同イベントでヘッドライナーを務めたケン・イシイさんとは以前からお知り合いだそうですね。友達かライバルか、彼のことをどんな風に思っていますか。

石野: 友達ですね(笑)。ずいぶん前から一緒にやっていて、毎年WIREにも出てもらっているんで。彼は彼独自の活動をしてるんで、すごくリスペクトしていますよ。

― 石野さんとケン・イシイさんは日本のテクノシーンの黎明期から活動をされていますが、その時代の世間は、テクノに対してどんな反応でしたか?

石野: 今ほど大きなものではなくて、シーンはあったんだけどすごく小さかったですね。その頃は今の『eleven』(当時は『YELLOW』という名前で営業)の木曜日のパーティぐらいしかなくて。あとは本当、数えるほどしかなかった。

― あの時代、YELLOW以外でのイベントはハウスばっかりだったんですか?

石野: そうですね、ハウスが多かったですね。金・土はハウスでしたね。テクノと謳っているのは木曜日ぐらいで、あとはトランスも出はじめみたいな感じで。それもトランスの出はじめは、大体テクノと言われていたんでテクノと一緒になっていましたね。それで、だんだんテクノのシーンが大きくなって、トランスのシーンも大きくなって、別々になっていたみたいな感じですね。90年代の半ばぐらいに。

― そのときに流行ってたテクノは何でしたか。

石野: DAVE CLARKEとか、あとレーベルだとHARTHOUSEってドイツのレーベルとか。ジャーマンテクノが多かったですね。今聞くとすごいテンポが速いやつ。

― その古いテクノは今でも聞いていますか。

石野: たまに聞いてるんですけどね。ちょうど3週間前に『AIR』でクラシックセットをやったんですけど。

― それはどうでしたか。

石野: 面白かったですよ。フロアの年齢が高かったです(笑)。ぱっとフロアを見ると昔よく見た顔とかいて。面白いんだけどちょっと恥ずかしいような感じもあって。一応、選んだんだけど、よくこんなんで踊ってたなみたいのもあったし。面白かったです。

― その時代のもので、今でもヤバい! と思うトラックはありますか。

石野: いくつかありますね、やっぱり。今回クラシックセットをやって久しぶり聞いて、今でも使えるな、と思ったのもいっぱいあったし。2時間のセットだったんですけど、2時間じゃもうかけきれないぐらい、まだ山がいっぱいあって。でも、年に1回でいいです。そればっかりやっていても進歩がなさすぎて。

― 来週出演されるイベントは『TOKYO FASHION FUSE』というタイトルですが、石野さん自身のファッションアドバイスなどありますか。

石野: いや、僕そんなオシャレな人間じゃないんで(笑)。そんな人にファッションのアドバイスするほど偉そうなことは言えないですね。


TOKYO FASHION FUSE 6: Full Throttle with DUCATI


By ジェイムズ・ハッドフィールド
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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