総括’09 スポーツ

明暗分けた2009年 日本のスポーツ界をフラッシュバック

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総括’09 スポーツ

日本のスポーツの規模はさほど大きなものではない。愛好する人々の数も、スポーツを観戦する人々の数も、極めて限られている。 世界有数の経済力を誇るこの国は、不必要なほど多くのスタジアムを建設し、無数の立派なスポーツアリーナを持ってはいるものの、都市部を除けば、利用者はごく少数である。ハードウェアの過剰とソフトウェアの貧困。それこそが日本のスポーツである。 2009年には自由民主党から民主党への歴史的な政権交代が行われたが、日本スポーツ界にとっては凶報以外の何者でもなかった。ただでさえ少ない予算が、さらに削られることが明らかだからだ。 だが、そんな貧しい状況下にあっても、真の才能と情熱を持つ人々は、それぞれの分野で素晴らしい成果を収めている。そのいくつかを紹介しよう。

天皇杯からワールドカップへ

2009年のスポーツ界は、毎年元旦に行われるフットボールの天皇杯決勝戦から始まった。日本ではフットボールを『サッカー』と呼ぶ。天皇杯は日本最大のオープントーナメントであり、1921年以来、およそ90年にも及ぶ古い歴史を持っている。 2009年の88回大会決勝戦は、東京の国立競技場で行われ、超満員の観客がガンバ大阪と柏レイソルの試合を見守った。試合は延長戦の末、大阪が柏に1-0で勝利した。 2009年の日本サッカーにとって最大の喜びは、2010年南アフリカワールドカップ出場が決定したことだ。 6月7日、日本はタシケントで行われたウズベキスタンとのアジア最終予選試合に1-0で勝利を収め、4大会連続で本大会出場を決めた。 この試合唯一のゴールを決めたのは、清水エスパルスのフォワード岡崎慎司であった。 93年にプロリーグがスタートして以来。日本サッカーは確実に進歩し、アジアにおいてはオーストラリア、韓国に並んでトップレベルにある。だが、ヨーロッパや南米の強国の域には遠く及ばない。 2010年6月に南アフリカで行われるワールドカップ本大会では、日本はオランダ、デンマーク、カメルーンと対戦することが決まっている。果たして岡崎は、それらの強豪からゴールを奪うことができるだろうか? 日本のサッカーファンは、24歳のストライカーに大いに期待を寄せているのだ。

新年を駆ける、箱根駅伝

1月2日、3日の2日間には、極めて日本的なスポーツイベントが行われた。箱根駅伝である。大学の陸上競技部の選手たちが、往復約200kmの道程を10人でリレーする。バトンの代わりに使われるのは“タスキ”と呼ばれる布製のベルトであり、選手はそれを肩から斜めにかける。 この大会もまた1920年以来の古い歴史を持っている。 箱根駅伝のハイライトは、最終的な勝者が決まる1月3日ではなく、2日の最終区間5区にある。山上の湖に設定されているゴールを目指して、息を弾ませながら険しい山道を駆け上る姿が、見る人の心を打つのだ。 2009年1月2日、箱根駅伝第85回大会の5区で衝撃的な走りを見せたのは、東洋大学の1年生・柏原竜二であった。1分17秒18というタイムは、これまでの記録を47秒も縮める区間新記録。小田原の中継所では4分58秒あった差をひっくり返して、8人を抜いて東洋大学の往路初優勝を決めてしまった。 柏原の快走によって勢いづいた東洋大学は復路も制し、出場67回目にして初の総合優勝を成し遂げた。ライバルたる早稲田大学の渡辺康幸監督は、柏原を「山の化けもの」と評している。

特筆すべきはテレビ中継の質の高さだ。一般に日本の地上波スポーツ中継のレベルは極めて低いが、日本テレビが行うこの箱根駅伝だけは例外である。一見の価値はあろう。

巨人監督、WBCも制す

3月にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の第2回大会が行われた。世界的にはまったく知られていないが、アメリカMLB機構が主催するベースボールの世界大会である。2006年に行われた第1回大会では、日本が初代世界王者に輝いた。 この第2回大会においても、前回同様に、徹底的にアメリカ有利のドローが作られたものの、日本は、史上最強の打者イチローのリーダーシップの下、見事に連覇を飾った。 当初、日本の監督は北京オリンピックで惨敗し、無能ぶりを露呈した星野仙一になるはずであったが、イチロー以下の選手が拒否した結果、読売ジャイアンツの原辰徳が就任したという経緯がある。 原は見事にチームをまとめ、WBC連覇へと導いたばかりか、自らが率いる読売ジャイアンツを日本プロ野球最高のタイトルである「日本シリーズ」優勝へと導いた。

モンゴル勢の活躍、魅せる両横綱

プロフェッショナル・ベースボールやフットボール(サッカー)と共に、日本のプロスポーツを代表する大相撲にとっては、トラブル続きの1年であったといえるだろう。 かつての高見山、小錦、曙といった巨漢のハワイ勢に代わって、現在の大相撲を席巻しているのはモンゴル勢である。 特に横綱朝青龍の相撲は、スピード、足腰の強さ、腕力、パランス、共に正に革命的なもので、年々減少する日本人力士と比較して、圧倒的に素晴らしい。 しかし、朝青龍は怪我と称してモンゴルに帰国したにもかかわらず、現地でサッカーをしていたのを見とがめられ、また税金の申告漏れが発覚したことで「大相撲のトップに必要な“品格”がない」と批判され、出場停止処分を受けた。 1月には十両力士の若麒麟が、大麻所持の現行犯で逮捕され、即刻解雇されている。 5月には、弟子への傷害致死罪に問われていた前・時津風親方に懲役6年の実刑判決が出された。 そんな中、2009年に万全の強さを見せたのが横綱白鵬であった。父親はモンゴル相撲の大横綱というサラブレッドは、強烈な上手投げを武器に優勝3回を飾った。しかも、6場所全90番(戦)を戦って86勝4敗。当然のように年間最多勝記録を更新した。 残念ながら、朝青龍や白鵬のような強い日本人横綱は、未来永劫出てこないのかも知れない。

亀田家による“リベンジ”マッチ

12月18日に10度目の防衛を果たしたボクシング・バンタム級世界王者の長谷川穂積の強さは、日本が過去に生み出した歴代王者の中でも間違いなく五指に入るものだ。 しかし、真の王者である長谷川の試合よりも、大きな注目を集めたボクシングの試合は、11月29日にさいたまスポーツアリーナで行われた王者内藤大助対挑戦者亀田興毅の世界フライ級選手権であった。 衰えの著しい35歳の王者は、23歳の挑戦者のアウトボクシングに翻弄され、結局判定は3-0で亀田に上がった。試合のレベルは長谷川に遠く及ばないものであったが、中継したTBSの視聴率は43.1%に達した。

未来を背負うアスリート

プロテニスプレイヤー伊達公子39歳のツアー優勝、プロレスラー三沢光晴46歳の死、プロ男子ゴルフ石川遼18歳の賞金王、 柔道北京五輪金メダリスト石井慧23歳の総合格闘技転向初試合(対戦相手は同じ柔道の吉田秀彦)等々、2009年も、数多くの印象的な出来事があった。 だが現在、最も大きな注目を集めるのはフィギュアスケートだろう。 日本のエース浅田真央が不調に喘いでいるからだ。 来年2月に行われるバンクーバー冬季五輪において、果たして19歳の天才少女は、韓国のライバルキム・ヨナを抑えて金メダルを獲得することができるだろうか? バンクーバーの浅田真央は、国民の期待を一心に背負ってリンクに立つことになる。

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テキスト 柳澤健
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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