Photo by Flying Carp Productions
2011年08月16日 (火) 掲載
もし90代のご老人に将来の夢や目標を聞いたら、どのような答えが返ってくるだろうか。100歳の誕生日を迎える事や、家族の記念日に出席する事。どっちにしろ、大きな志を持つ人は少ないのでないか。ましてや90代にして「柔道の最高地位に昇段」などは、大それた目標のように思えるかのように思えるが…。
そんな大それた事をやってのけた女性がいる。福田敬子だ。福田は2011年7月28日、98歳にして柔道の最高地位である十段に昇段した。国際柔道連盟によって十段を許された者としては史上4人目、女子としては史上初であった。
この十段昇段は、福田の76年間の柔道人生において、柔道の古い道徳と戦い続けた結果、勝ち取った快挙である。
福田は1913年、東京にて元武士の家系に生まれた。若い頃から、書道や茶道、華道などの日本の伝統文化を教え込まれ大和撫子として育つが、福田の祖父にあたる幕末の武士、福田八之助の影響により、柔道に興味を持つようになる。福田八之助は、天神真楊流柔術の大御所であったと共に、“柔道の父”として知られる嘉納治五郎が師と仰いだ人物であった。嘉納治五郎が柔道の総本山として講道館を創立したのが1882年。講道館の女子部が開設したのは1926年のことだった。
福田が柔道を本格的に学び始めたのは、彼女が21歳の時。1935年には嘉納治五郎から直々の誘いを受け講道館に入門し、嘉納本人、そして“柔道の神様”として崇められた三船久蔵に師事する。結婚のチャンスもあったが、柔道に真剣に取り組みすぎるあまり、女性が柔道をやる事に良い顔をしなかったお見合い相手との婚約は破談に終わった。
1937年には柔道指導者としての資格を取得。そして1953年には女子としては当時4人目となる、五段昇段を認められる。その後、福田はアメリカを中心に、世界各国で柔道の教育と普及に努めた。1966年から1978年までは、カリフォルニアはオークランドのミルズカレッジ校にて柔道講師を専任した。
アメリカではサンフランシスコに桑港女子柔道クラブを創立し、日本国籍を離脱してまで米国に在留し柔道を教えるなど、柔道の国際普及に勇往邁進し続けてきた福田だが、70年代初頭には大きな壁が立ちはだかる。当時柔道の世界では五段が女子に許される最高段位と定められており、五段の福田にとってこれ以上高いレベルに昇段する事は不可能だった。その昔、結婚破談の要因となった女性軽視を、柔道界内からもくらう羽目になったのである。福田は女子にも五段以上を容認するよう柔道界に働きかけ、1972年には女性初の六段に昇段する。この、福田が起こしたムーブメントにより、柔道界において女子にも男子と同等の権利が与えられるようになったのである。
昔ほど身体に自由が利かなくなった最近では、福田はアメリカの審判委員会や柔道連盟において役員を務める傍ら、教本や自伝の執筆活動に専念する日々を送っている。そんな彼女の貢献を讃え、講道館は2006年に九段の昇段を認定した。またしてもこれは女子としては初の快挙であった。
福田は98歳になった今でも、週に3回は道場に出向き、車椅子に乗って柔道の指導を行っている。そしてこの度、アメリカ柔道連盟によって、十段昇段を認定された。地元新聞のインタビューで、福田は「これが私の人生の夢でした」と喜びを伝えると共に、この十段昇段は女性の権利向上の賜物だと述べている。
現在、福田の半生を綴る伝記映画、「Be Strong, Be Gentle, Be Beautiful」が制作中だ。このタイトルは 福田の座右の銘を英訳した物だ。「強く、優しく、美しく」。これは時代を歩んできた女流柔道家、福田敬子の姿そのものである。
「Be Strong, Be Gentle, Be Beautiful」は自主制作プロジェクトで、2012年に公開予定。公式サイトでプロジェクトへの寄付を募っています。興味がある人は、まず予告編をご覧いただきたい。
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私を自分の子供の様に褒め、指導して頂いた敬子先生。先生との出会いで私の人生も決まりました。
この映画を見たいのですどうしたらいいのでしょうか教えてください
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