2011年05月20日 (金) 掲載
ひと気のない六本木のカフェで会ったテイ・トウワは、オフィスの全てをそこに持ってきていたかのようだった。マネージャーの向いに座り、テーブルには書類やラップトップが積まれていた。インタビューの途中でいったん休憩し、iTunesストアを確認、短めの電話をいくつかかける。テイのニューアルバム『Sunny』は、自身が所有するレーベル、『hug.inc.』から5月11日にリリースされたばかりで、この日の夜はDOMMUNEに出演することになっている。「すみません」と会話を電話に戻しながらも彼は言った。「とにかくやることが多すぎて」。
テイは長年ニューヨークに住んでいたが、最近ではメール以外に英語を使用することはあまりなく、インタビューもほぼ日本語で行われた。アーティスト写真のテイは、まるで肌がゴムでできた人造人間のように見えるが、実際に会う彼はとても人間らしい(そう、まさに人間のようだ)。46歳という年齢にふさわしい外見で、自分の居場所を世界に作り上げた人物特有の、フランクな雰囲気で話す。
彼はインタビューの途中で「過去のものになったとは思っていなくて」と言った。「僕がつくっている音楽が、古くさいものになったとは思っていない。“今”だけ新しく感じる表面的な物を作っているつもりはない。3年か4年か5年後でも、人が僕の音楽を聴いて古いとは思わないと思う…。マーケティングの為だけに作られた音楽は多いし、ヒットチャートの上位を狙うためだけのものもある。1年か2年後に、そのCDを持っているのが恥ずかしいような音楽は作っていないというプライドはあるつもりかな。20年前に作った僕の曲は、いま聴けば少しは古い感じもするけど、そう悪くないと思うよ」
1990年にメガヒットを記録した「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート(Groove Is In the Heart)」を送り出したニューヨークのキラキラなダンスユニット『ディー・ライト(Deee-Lite)』の、一番おとなしいメンバーとしてデビューしてから、20年以上がたった。グラフィックデザインの勉強のために1987年に米国に渡り、1年後、2人組で活動していたレディ・キアー(本名はキーラレン・カービィ)と、ウクライナ移民のスーパーDJディミトリーに出会い、グループに参加した。
2010年はディー・ライトの記録的ヒットから20周年目だったが、テイは再結成ツアーをかたくなに拒否、「あり得ないよ」と笑った。「1987年当時、僕らにはシンクロするところがあった」と彼は言う。「まるで家族みたいだった。でもやがて、音楽的にも、肉体的にも共有することが減っていったんだ。僕が体調を崩したこともあるけど、メンタル的にも合わなくなっていった。そして子供ができたので、さようならを告げて日本に帰国したんだ…。ディー・ライトは成功したけど、もう縁が切れてしまった、今はもう縁がないということ」
もちろん、ソロでの成功があってこその発言だろう。テイは帰国後、メジャーレーベルの大々的なサポートはあまり求めず、東京ではDJとしてAIRやfai aoyamaといったクラブでレギュラーパーティをこなしてきた。テイの6枚目となる『Sunny』は彼のコネクションの広さが溢れている。YMOの細野晴臣や高橋幸宏、チボ・マットの羽鳥美保や、トラン・アン・ユンの『ノルウエイの森』で小林緑を演じた、女優でモデルの水原希子といった蒼々たる名が並んでいる。
ポーズをきめる高橋幸宏、水原希子とテイ・トウワ
「名前を上げるつもりはないけど、個人的にはとても好きでも、ついてるマネージメントがとてもやりにくかった人がいて。その経験があったので、“そういう人たちと一緒にやるのはやめよう”と決めた。それで、やりやすいマネージメントがついてる、やりやすいミュージシャンたちとやることにしたんだ」とテイは言った。
水原は、高橋とのデュエットである、粋なリードシングル「The Burning Plain」を歌う。テイのプロダクションではよくあることだが、彼女の参加は曲がほぼ完成した後に決まった。「お互いの仕事のファンだったけど、実際に会ったことは一度もなかった」と彼は説明する。「高橋さんのボーカルで、曲の質が上がったと思った。彼の英語の発音はすごくいいし。それで、デュエットの相手を選ぶのに苦労した」
「そのとき、ちょうど希子ちゃんのドキュメンタリーをテレビで観て。父親がテキサス出身で、彼女の英語はとてもうまかった。発音も、容姿も文句なかったので…それで彼女に頼んだ。彼女は今まで歌を出したことがないと言っていたけど、とても興味をもってくれたんだ」。ラジオでよくかかっていることが証明しているように、とても機転のきいた選択だったといえるだろう。
当初、『Sunny』は4月20日リリースの予定で、テイは3月11日の震災前にアルバムを完成させていた。震災の一夜前、テイは夜中まで起きてニューヨークのスタジオから届くファイナルマスターテープの到着を待っていた。テイの言葉からは、レコードは、震災前のまだ幸せだったときの作品だったように聞こえる。実際に、震災が起きた後にも作っていたのならば、まだ完成はしていなかっただろうと彼はいう。
「これはコンセプトアルバムのようなものなんだ。3月11日前の、太陽が降り注ぐ、幸せで普通の日々の要素を、まるでエスプレッソみたいに凝縮させたんだ。あの時間には二度と戻れないけど…でも聴いてくれた人が幸せな気持ちになれたら嬉しい」と語る。
3月11日、またはテイが呼ぶように“サン・イチ・イチ”以降、日本のクラブ業界は、自己を見つめ直しているようだ。クラブでのイベントが震災後に相次いでキャンセルになり、日本での公演予定があった海外のアーティストたちからも、こうしたイベントを自粛するべきではないかと疑問があがった。テイ自身の考え方も変わったという。だが、彼はインタビューの中でも何度も英語で「Music is not guilty.(音楽が悪いわけじゃない)」と繰り返した。
「3.11以降、今まで聞いていた音楽が聞けなくなったという人が多い。クラブで演奏するときの、音楽のサイレン音とか… 。テレビや携帯の地震警報の音といった現実が怖いものになってしまった。震災の一ヶ月後にDJを始めたとき、僕は自然にそういう音楽をかけずらくなった。パーティが悪いとは思わなかったけど、自分のムードが変わってしまった」
それは彼の音楽の聴き方にも変化をもたらした。「3.11後、これは個人的に思うことだけど、とても質の良い、ソウルフルな曲しか聴きたくなくなったんだ。先週は、ジェームス・ブラウンとレッドツェッペリンの曲しか聴かなかった」と彼はいう。こんな状況を誰が想像できただろうか。
『Sunny』はHug Inc.から発売中。[テイ・トウワは5月21日(土)に代官山UNITでゲストDJ出演。
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