パブリックアイ 第32

クラーク志織(27)富ヶ谷にて

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パブリックアイ 第32回

クラーク志織 アーティスト

どんな作品を制作されているんですか。

クラーク:今は絵です。

絵は昔から?

クラーク:小さい時に親から「○○をしないさい」と言われていたわけではないんですが、物心ついた時からずっと描いていましたね。姉がひとりいるんですが、姉はピアノをひいたり歌ったりしていて、今は音楽をやっています。

これを続けていくぞ、と決意した瞬間はあったんでしょうか。

クラーク:小学校低学年だったと思うんですけど、その頃は感情の起伏が激しかったので、このままだと将来は大変だぞと。何かを作って自分の感情を発散しないと駄目だと思って。だから何かを作る仕事をしようと決意しました。

絵ではなく、何かを作る仕事だったのですか。

クラーク:その頃からすごいテレビっ子だったんですよ。それで映像に興味があって、武蔵野美術大学の映像化にすすんだんですよ。在学中はインスタレーションやパフォーマンス、映像を使って色々と制作してました。でも、卒業制作を終えたら今までやってきたことから距離を置きたくなって、そこから絵に戻りましたね。

自分の内面が変化したんでしょうか。それとも表現手段を変えたかった?

クラーク:内面を表現したいというのはそこまでなくて。生きていると色んな情報が入ってくるじゃないですか。色んな作品や考え方、今こうしていても情報が入ってくる。そういうのを取り込んで、そこに自分の感情や思いを含めて、編集して出したい。それが絵になった、ということです。ワイワイ、グルグルしながら、その中で生まれた何かキレイなもの、光景を見て、それを形にしたいですね。

今でも家では絵を?

クラーク:そうですね、家ではずっと絵を描いてますね。あとは本を読んだり、ネットしたり。

ほかに何か、趣味のようなものはありますか。

クラーク:卓球のクラブチームに入ってます。

それは突然、やろうと思い立ったんですか。

クラーク:1年半くらい前に『多摩川アートライン』というイベントがあったんですが、それに友達が作品を出していて。そこで開かれたイベントのひとつに、神社でやる卓球大会があったんですよ(笑)。久しぶりにやってみたら楽しくて。アートディレクターの浅葉克己さんのチームも出場していたので、その日の打ち上げで「入れてください!」って言いました。

直接ですか。

クラーク:そうです。そしたら「おう、一度練習の見学においで」って言ってくれました(笑)。浅葉さんは、暗いイメージのあった卓球を明るくするために卓球台をブルーに、ピンポン球をオレンジ色にしようと提案した人で、クラブチームも40年ぐらい前からあるぐらいの“卓球好き”なんですよ。

今でも定期的に練習を続けているんですか。

クラーク:週に一度は練習に参加してます。そのあとはみんなで渋谷に行って飲んだりしていますね。

渋谷にはよく行くんですか。

クラーク:好きなんですよね。街の雰囲気が。毎日、何かが起きてるような気がして。あと知り合いとすれ違うことも多いし。みんな渋谷とか青山とか、このあたりで働いているので。あとはやっぱり画材の関係で、東急ハンズがあるのが便利ですね。

昔からよく遊びにきてはいたんですか。

クラーク:大学は千葉から通ってたんですけど、2時間かけて(笑)。乗り換えは主に新宿ということもあって、当時、渋谷に対しては特別感がありましたね。

さらに“クラーク”さんから

「ネアンデルタール人がすごい好きだった時期があったんですけど。色んなことを勉強して、その時はちょっと洞窟に住みたいなと思っていました。今は都市部がいいです(笑)」

「父がイギリス人なので、いつかロンドンで暮らしてみたいですね。やっぱり、私にとって他の国とは違うんで。そこから日本へ帰ってくるのか、どこに行くのかは分からないですけど」

「房総半島にお父さんの窯があって。庭に猿が出るくらい自然が豊かで。中学の時に3年ぐらい住んでたんですけど、一度猿をお母さんに見間違えたことがあります」


ウェブ:ShioriClark www.shioriclark.com/

テキスト / 撮影 Takeshi Tojo
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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