2010年08月02日 (月) 掲載
夏の旅行の交通手段に鉄道を利用する人も多いはずだ。鉄道のいちばんの使命は利用者を安全に目的地へ運ぶことだが、最近では“乗ること”、それ自体が旅の目的になるような列車も増えている。魅力的な列車はいくつもあるが、ここでは夏には最適な『トロッコ列車』を紹介したい。東京近郊のトロッコ列車で風を感じてほしい。
群馬県のJR両毛線・桐生駅から渡良瀬川に沿って走る路線。終点近くには、明治の日本の近代化を支えた足尾銅山がある。渡良瀬川は、鉱山から流れ出た毒によって一時は生きものの棲めない川となったが、それも100年以上前の話。今では緑豊かな渓流になっている。トロッコ列車の出発点は大間々(おおまま)駅。足尾まで1時間40分ほどの道のりをたどる。トロッコ以外の魅力も多い路線で、途中にある水沼駅の構内には温泉が湧いており、神戸(こうど)駅のとなりには東武鉄道で走っていた特急の車両を利用したレストランもある。川面を過ぎる風を受けながら渡良瀬川を遡って行くと、終着・足尾の一つ手前、通洞(つうどう)駅のあたりで風景は一変する。山に木がなくなるのだ。銅山から排出された煙は周囲の山の木々を枯らした。閉山から40年以上たった今でも木々はなかなか生えてこないため、現在、民間のボランティアによって植林作業が進められている。荒涼とした風景と引き換えに、鉱山の町・足尾は山間にもかかわらず栄えた街だった。今ではその賑わいも過去のこととなったが、日本の近代化を支えた大きな鉱山があったということは揺るぎない事実だ。当時の銅山の様子や、日本初の大規模な公害とされる鉱毒事件の深刻さは、足尾駅からほど近い銅山観光でよく知ることができる。
ウェブ:www.watetsu.com/
浅草から東武鉄道の快速列車で2時間半、関東エリアでは最大級の温泉地、鬼怒川温泉を過ぎ、終点の新藤原駅で会津鉄道に直通する列車に乗り換える。そこから1時間あまりかけて栃木と福島の県境を越え、人里の雰囲気が感じられるようになると、トロッコ列車の出発点、福島県の会津田島(あいづたじま)駅だ。会津鉄道を走るトロッコ列車は『会津浪漫 風(花・星)』号と、便によって名前が違っている。ただし車両は全て同じものだ。こちらのトロッコ列車の特徴は“お座トロ”であること。編成を構成する3両の車両は、それぞれ風が気持ちいいトロッコ車両、靴を脱いでくつろげるお座敷車両、眺望抜群の大きな窓の展望車と、沿線を楽しむさまざまな工夫がされている。トロッコ車両には、沿線、芦ノ牧温泉(あしのまきおんせん)駅の名誉駅長を任されているネコ“ばす駅長”のイラストが大きく描かれている。ばす駅長は2000年頃から駅で飼われ、2008年に駅長に就任、その後は会津鉄道=ばす駅長という程に名の通った存在になった。阿賀野川の川岸に切り立った崖がみごとな“塔のへつり”といった絶景を楽しみながら、終点・会津若松まで1時間半ほどの旅。古き良き日本の山村、里山、そして城下町を一気に体験できる路線だ。
首都圏から東海道新幹線で1時間半ほどのところにある静岡県の大井川鐡道は、多くの鉄道ファンにとって、まるで動く鉄道博物館のような存在だ。1970年代半ばに蒸気機関車の運転が全国で廃止された際、いち早く復活運転をおこない、多くのファンがやってくるようになった。その後も小田急ロマンスカーや、近鉄ビスタカーや南海ズームカーといった、その筋の人々にとっては名車として愛されてやまない車両が次々とやってきて、第二の舞台で活躍している。その大井川鉄道には2つのパートがある。最初のパートはJR東海道線金谷駅から千頭(せんず)駅までの全長40キロほどの路線。ここではSL列車や各地で活躍した特急列車が走っている。東海道の旅人たちを困らせた大井川を遡ること1時間20分ほどで、山あいの里・千頭駅に到着。ここからがもうひとつのパート、トロッコ列車の出発点だ。幅広く流れていた大井川もこのあたりではすっかり渓谷になる。山の中腹、かなり標高の高い部分をトロッコ列車は進む。このあたりは接阻峡(せっそきょう)といわれる谷で、川に沿う鉄道も急カーブが続く。やがて現れるのが『アプト式レール』だ。アプト式レールとは急坂を昇り降りするために、車両側のギアとレール側のギアをかっちり噛みあわせて登っていく仕掛け。2本のレールの間にはギザギザの歯を持った3本目のレールが敷かれている。ヨーロッパの登山鉄道によく見られるが、日本ではここだけにしかない。途中にある関の沢(せきのさわ)鉄橋は水面からの高さ100メートルで、日本の鉄道用の橋としては一番高い。風が吹き抜けるトロッコ列車はサービスで徐行するため、この上ないスリルを味わうことができる。
東京から長野に行くのにいちばん早い交通手段は長野新幹線だ。東京から長野までは、およそ1時間40分。明治時代、鉄道が開通した頃の人たちからすると、これは夢のまた夢のような速さだろう。当時はいちばんの難所、群馬県と長野県の境にある、およそ10キロの碓氷峠を越えるだけで1時間20分もの時間がかかっていた。その標高差はおよそ550メートル。この区間のみ後押しで補助する機関車を連結し、トンネルで煙に巻かれる心配をしつつ大変な苦労をして登っていた。その後は電気機関車に代わったものの、急勾配を後押しするという状況は長らく変わらなかった。機関車を連結するための長い停車時間を利用して峠の下の駅、横川で売られていたのが『峠のかまめし』という名物の弁当である。そして1997年、碓氷峠は新幹線にバトンタッチされ、100年を越える在来線の歴史は幕を下ろしたのだ。JR信越線の横川駅に隣接するスペースは、現在は『碓氷峠鉄道文化むら』として整備され、各地で集められた車両が展示されている。園内には廃止された碓氷峠の在来線を登っていくトロッコ列車がある。前置きが長くなったが、ここのトロッコ列車は現役の線路を利用したものではない。厳密には鉄道文化むらの施設のひとつだが、日本の鉄道史に欠かすことのできない重い歴史を持ったトロッコ列車なのだ。10キロ以上あった碓氷峠全区間のうち、わずか2.6キロほどの短い部分だけだが、当時の鉄道が峠に挑んでいく雰囲気を味わわせてくれる。終点は『峠の湯』という温泉施設になっている。文化むらの施設内では、講習を受ければ碓氷峠で後押しに活躍した本物の機関車を運転することができる。ファンに“峠のシェルパ”というニックネームで愛された機関車のハンドルを握ってみてはいかがだろうか。
ウェブ:www.usuitouge.com/bunkamura/
最後に紹介するのは路線ではなく、JR東日本の車両だ。これまでの4つのトロッコ列車は全てが私鉄や観光施設のものだが、こちらはJR東日本の持つ車両という性格上、東日本全域の路線に登場する。その場所は夏ごとに違うが、この夏、東京から近いところでは、8月7日(土)、8日(日)に新潟と福島を結ぶ秘境路線・只見線、28日(土)、29日(日)に最初に挙げた、わたらせ渓谷鐵道を走る。
ウェブ:www.jreast.co.jp/train/joyful/kaze.html
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