出口は見えない-飯舘村の人と犬猫の今

復旧作業へ高まる懸念。打ち寄せる除染という新たな波

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出口は見えない-飯舘村の人と犬猫の今

※2014年9月発行『タイムアウト東京マガジン4号(英語版)』に掲載した日本語原文記事を転載

2014年夏、福島県飯舘村で本格的な除染作業が開始された。2011年3月に発生した福島第一原発の事故で、最も被害の大きかった地域のひとつであるこの村は、年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超える高濃度の放射能にさらされ、4年近く人の営みは消えたままだ。

「除染をして帰村」が、国や村が一貫して掲げる方針である。先行して行われた国の実証実験を見る限り、除染により人が居住できるとされる年間1ミリシーベルト以下を、村内全域で達成できる見込みはない。今現在、村民に移住のための賠償は用意されておらず、自費で移住した者を除けば、避難住宅に留まらざるを得ない状況が続いている。村長の菅野典雄は、「生活の変化によって起きるリスクと、放射能のリスクのバランスを取りながら避難をさせることが大切」と、年間5ミリシーベルト以下を除染の目標と公言している。これは、放射線管理区域に匹敵する線量である。

人工物は朽ち、自然に飲み込まれていく

先に報じた記事のように、約2000戸6000人の避難者が未だ自宅へ戻ることができず、彼らが飼っていたペットも取り残されたままだ。そして、除染という新たな波が打ち寄せている。

村には今、あちらこちらに蛍光オレンジの工事用旗やテープが現れ、そこが除染予定区域であるということを知らせている。2014年初夏から除染が本格化し、1000人ほどだった作業員が4倍に増員され、村はにわかに活気を帯びている。草は刈られ、土は掘られ、木は倒され、草木が伸びきってしまった庭や農地は、新たに砂利や土で覆われた。農業が盛んだったこの土地は、作業員の姿と放射性廃棄物の詰まった袋の山が日常的な風景に変わった。

少なくとも3,000億円の税金が、飯舘村の除染に使われている。住宅地域と周辺農地の作業は2014年末までに完了する計画だが、村の75%を占める森林を、いかに効果的に除染するかについてはまだ模索中だ。たとえ、家と周辺の土地だけが除染されても、森林に散らばる放射性物質から出る放射能が、民家の方へ舞い戻ってしまうのではないかと多くの住人が懸念する。そして、わずか30kmしか離れていない原発から、いまだに放射能が漏れ続けているという事実は言うまでもない。

放射性廃棄物の仮置き場

松塚地区で花農家を経営していた高橋日出夫は、2日に1度は村の自宅へ帰宅する。彼が飼っている4匹の猫に餌をやるためだ。仮設住宅での動物の飼育が禁止されているため、飼い主は村に通い動物の世話をしている。約200頭の犬と400匹の猫が、飼い主のわずかな帰宅の時間を待ちわびながら、村で生きているのだ。犬、ジャコウネコ、アライグマ、アナグマ、キツネなどの野生動物が、猫の餌の周りに集まって来る。人間の生活圏と野生との境界がぼやけつつあるかのようだ。野生動物に襲われ、命を落とす猫も少なくない。犬猫の住環境もまた、厳しさを増している。

避難する前、高橋は3000平方メートルの温室で切り花用の花を育てていた。その後、幸運にも近くの飯野町で農業を再開することができた。村から土地と温室を提供されたが、用水路の整備やそのほかの費用は自己負担しなければならない。あてがわれた土地もわずか500平方メートルで、利益を上げるのは困難を極める。「村に戻って、また目一杯働きたいな。今65歳だから、70歳までに戻れたらいい。それ以上歳を取ったら体が動かなくなってしまうよ」と、高橋は話す。もともと所有していた温室は、除染のためほとんど撤去されてしまった。村へ戻って農業を再開するにしても、再び設備投資からはじめなければならない。「避難者として暮らしていくのは大変だけど、村へ戻ってやり直すのも生やさしいことじゃないね」。

除染作業が進む土地にたたずむマメ

家屋近隣の森の伐採現場。以前はマメの遊び場だった。

比曽地区で、農家を経営していた菅野正三もまた、飼い猫のマメを世話するために避難所から定期的に村へ戻っていた。マメに会うことが、避難生活の中で生きがいになっているといい、毎回、好物の鮭おにぎりや焼き鮭を持参し、半日ほど時間を共にしていた。菅野は、戦後この地に移住して土地を開拓し、野球場ほどある敷地で大根を栽培していたが、今では生業の農業を奪われ加齢も重なり、足腰の衰えは隠せない。近頃では、帰宅頻度が減っている。近隣の住人やボランティアが訪問し餌を与えるため、マメが餓死をすることはないが、人のそばを付いて回る姿から、寂しさを募らせていることが伝わる。

菅野の自宅は、立ち入り禁止区域となっている長泥地区のすぐそばにあり、放射能のレベルも高い。除染前は1時間で3マイクロシーベルトを越えていた。除染後は半分近い1.6マイクロシーベルトまで下がったが、安全とされるレベルは0.23マイクロシーベルト未満である (年換算1ミリシーベルト)。菅野の息子は、「除染をしても、もうここには住むことはできないんじゃないか。結果的にゼネコンが儲けて終わるだけにならなければいいが」と、除染作業に懸念をあらわにする。再定住にかかる費用は政府から補助されないため、除染が不十分だったとしても別の場所へ移り住むのも難しい。避難者たちの今後は、いまだに不透明な状況にある。

除染対象の土地であることを示す蛍光のリボン

仮置き場に置かれた、放射性廃棄物入りのフレコンバッグの山

By 上村雄高
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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