壁崩壊20周年のベルリン

ヨーロッパで最もエキサイティングな街を旅する

壁崩壊20周年のベルリン

キスをするブレジネフとホーネッカー(イーストサイドギャラリー) © Chris Anderson

警備員が手をあげ、許可をすると、我々は漆黒の暗闇の中へと進んだ。月はぼんやりと霞みがかっていて、僅かな銀色の月光が辺りを照らしていた。クラブ兼ギャラリーのオーナーが、彼女に手に持っている懐中電灯で我々の行く先を照らしてくれた。

『ライト・ザ・ウォール』プロジェクト

我々がたどり着いた場所は、かつては無人地帯だった。今でも随所に当時の雰囲気を感じる。『テープ』(www.timeout.com/berlin/clubs/venue/4997/tape)という名の簡素なナイトクラブの裏にある荒れ地は、ライト・ザ・ウォールというプロジェクトに貸し出されていた。特定の時間になると固定されたカメラが壁の写真を撮り、撮られた写真はやがて映像化される。クラブ兼ギャラリーオーナーのウルリケ・ハスマンいわく、このプロジェクトは彼女のクラブと同様、一時的なものなのだという。この荒れ地には別の建物が建設される予定があるそうだ。「ここは絶好のロケーションだから、すでに開発が決まっているのよ」。

彼女の指差す先には、光り輝くアーチ型のベルリン中央駅の壁があった。2006年に開設されたばかりのヨーロッパ最大規模の駅だ。今はまだ停車駅3駅しかない冗談のようなU-バーンのミニ路線や、英国スタイルの失敗作S-バーン(資金調達に失敗して路線が閉鎖予定)しか乗り入れておらず、駅にたどり着くことすら難しいが、将来は東西統一ドイツが象徴する、あらゆるものを繋ぐこと、歴史の演出、目覚ましい土地開発の流れに乗り、この駅はあらゆるものの中心になるだろう。

クラブの中に入ると、離れた壁の向こう側から聞こえる大音量で壁が振動している。テープのキュレーター、ルッツ・ヘンケがギャラリーを案内してくれた。中にはよく出来たペインティング、プリミティブな映像、数百を超える写真が展示されていた。クロアチア出身のアーティスト、ウロシュ・ジュロヴィッチの作品だ。ほぼ全ての作品がアーティスト自身の自画像なんだ、とルッツが教えてくれた。「ウロシュは本当に変わった人だ。彼による彼自身のとらえ方すら、本当に変わっている」。

まるでフィルム・ノワールと木版画が合わさったようなギャングスターのリアリズムがそこにあった。そこかしこに暴力が垣間見える。イギリスの暴力的な警察ドラマ『ロンドン特捜隊スウィーニー』が、もし1989年前に東欧で撮られたとしたらこんな感じだったかもしれない。テープを紹介してくれたのは地元出身ではなく、ファッションやメディア向けのビジネストリップを案内する、トレンド・スカウトのスウェーデン人のヘンリク・ティデヤルデだった。この日はベルリンの新しいレストランや隠れ家的“女装”バーや、そしてテープを一日中案内してくれたが、その中で最も印象的だったのは、この暗闇の空き地にそびえ立つ壁だった。

おもしろいことに、この壁が最初からこの場所にあったものなのかどうかは誰も知らなかった。ウルリケはどこかから移築されたのだという。だが、鉄筋がむき出しになったコンクリートの固まりは、モニュメントとしてそこにあるだけで充分だった。

イースト・サイド・ギャラリー

翌日、フリードリヒシャイン地区のミューレン通り沿い1.3キロに渡る壁を見るため、イースト・サイド・ギャラリー(www.eastsidegallery.com/)を訪れた。ここには1990年に118人のアーティストによって塗られた壁がある。ベルリンの公認観光ガイドのガビー・レイノルドは、この壁は11月9日に開催される崩壊20周年記念式典フェスティバル・オブ・フリーダムのため、塗り直される予定だと教えてくれた。「時の流れとともに、これらの作品は壊されたり、グラフィティで塗り潰されてしまったりしたのよ」。誰がそんなことを?とたずねると、「あなたが想像しているような人々ではありません。人生の目標を見失った、多くの中流階級の人々です」という答えが返ってきた。

ベルリンのバラード的ビジョンともいえる反逆者たちに、とても興味をそそられた。街のアート作品にグラフィティを描くのはベルリンらしいし(“ベルリンらしい”という言葉はベルリンにいる間よく耳にしたが、その意味は今日までよく理解していなかった)、映画『クリスチーネ・F~麻薬と売春の日々』に出て来るような、1980年代のベルリンが脳裏によみがえった。

テープのキュレーターのルッツは、過去にイースト・サイド・ギャラリーに参加した経験があるアーティストの作品展示を、断った経験があるという。「文化継承のプロジェクトに無名で貢献した」からだそうだ。中流階級のフーリガンたちはある意味正しかったのかもしれない。

新しいベルリンの発見

観光ガイドのガビーは、シュプレー川のビーチバーを案内してくれた。他にも、ハッケンシャー・マルクトやソフィエン通りを通って、ギャラリーやカフェ、レストランや小さな店がひしめくベルリン的な中庭を見せてくれた。その後は、ユダヤ人ゲトー地区だったショイネンフィアテル(またの名を倉庫地区)も案内してくれた。この辺りはまだベルリンの過去の傷が残っている。

私が滞在していたホテルは、イースト・サイド・ギャラリーからそう遠くなく新しい『ホテル・ミッシェルベルジ(www.michelbergerhotel.com/)』。灰色で荒涼とした東ベルリン独特の高層ビルだ。現在この建物は14人の友人同士によって共同運営されている。デザインにこだわって改装されており、手軽な価格の119室が用意されている。今回は2泊した。客室は白を基調にした小さな部屋で、私の部屋の窓からは汚いゴミ置き場が見え、さらに不格好な出来たばかりの『02ワールドアリーナ』も見えた。

土曜日に西へ移動し、『アバ・ホテル(www.abbaberlinhotel.com/)』に宿泊した。ホテル・ミッシェルベルジェはそこまで恋しくなかったが、東ベルリンは恋しかった。このエリアをとりまくクアフュルステンダム通りや動物園は、やや煩わしく感じた。ロンドンのオックスフォード通りとまではいかないが、見かける車といえばアウディばかりで、やたらと値段の高いカフェがあふれかえっていた。街中にあふれ出るロゴや広告や照明、消費者主義的なモノのせいかもしれない。この裕福な街では私は浮いているように感じた。

日曜日、ガビーとヘンリックの助言どおりトラムに飛び乗り、プランツラウアーベルグ地区を訪れた。2人は互いにまったく関連が無いが、この場所は両人ともお薦めだった。この地区はかつて東ベルリンの労働者階級の共同住宅エリアがあった場所で、いまはベルリンで最もクールなエリアだ。西側が金融や商業や向上心で埋め尽くされているとしたら、東側は人々の生きる力で息を吹き返していた。小さな会社、若い家族たち、インディペンデントなレストランと、小さくて洒落たバーが随所に点在していた。

緑化はまだこれからだろう。スターリン率いる東ドイツ政府はガーデニングにはあまり興味がなかったらしい。だが、ヘルムホルツ広場は、西ベルリンの雄大な国立公園ティーアガルテン内の隠された一角のように、牧歌的で静寂に包まれていた。ぶらぶらとあたりを歩き、多国籍で無階級の(または多階級共存の)活気ある通りを抜け、路肩にある小さなカフェ『Im Nu(Lychener Strasse 41)』でワインと安い軽食を頼み、そこで一休みした。アバ・ホテルまでの戻り方がよくわからなかったので、トラムでベルリン北駅まで行くことにした。ベルリンはロンドンのように拡散しているので、移動に時間を取られる。この都市では駅の屋根の下にいる時間がとても長い。

途中、トラムは一角の壁の前を通過した。イースト・サイド・ギャラリーやテープで見た壁と違い、このあたりの壁はなにも装飾がされていなかった。東ドイツ軍好みのスタイルだ(逃亡者の影が壁に写った方が射撃の狙いを定めやすいだろう)。一部は崩壊したままになっていて、コンクリートがはげ落ち、雑草が壁の下部やつなぎ部分にまで侵蝕していた。どのアート作品よりも、壁の存在を浮き彫りにしていた。周囲には人もちらほらといたが、北部のミッテ地区は観光ルートからは外れているのだろう。トラムから下車はしなかった。“目の前にある歴史”の一瞬一瞬に取り組んでいたし、もう壁の写真は充分撮った。だが、後になればもっと撮っておけばよかったと思う。

東 vs 西

都市を再生するのに20年は充分な時間だ。ドイツはすでにこの首都を縫い合わせ、新しく再建した。きっと2029年にもなれば、寂れて崩壊しかけている空きビルをベルリンで探すのは困難になるだろう。政府も観光局も、“空きビル”がベルリン一の見物になることを許さないだろう。

たとえば週末旅行などのショートトリップでは、必ずブランデンブルグ門や近郊のポツダム広場のソニーセンターを通るだろう。前者は、ドイツ騎士団の巨大で仰々しい記念碑信仰の象徴で、あまり記憶には残らない。後者は巨大なガラス張りの円屋根でステンレスの支柱で支えられており、外観は印象的だ。だが、残念ながら建物内の名の知れたレストランや派手な映画館や、フェイクのリゾート風バーは気が滅入る。

60年前(市民は1949年9月4日と暗記している)、西側ベルリンはカリーヴルストというひどい食べ物を開発したが、今ではエスニック料理屋からグローバルブランドまでがこの料理を提供し、東側へとどんどん広がっている。ソニーセンターの人工的な広場の中心に立っていると、プレンツラウアーベルク地区や、フリードリヒツハイン地区や荒々しいアレキサンダープラッツ(実際に私はここでカリーヴルストを不釣り合いなプロセッコを飲みながら食べた)へ行きたい衝動に駆られた。

ベルリンは再び分裂しているようにも見える。急激な資本の流れがベルリンを貿易や商業の中心地にしようとしている。フランクフルトを超えてニューヨークやロンドンのライバル都市になれるかもしれない。だが、低所得者層、ボヘミアン、ゲイ、左翼、ファッションデザイナー、クラバーや反抗心のある若者は、そこに興味はなく他のものが欲しいと思うはずだ。

私もそうだ。おそらくあなたも、次にこのヨーロッパで最もエキサイティングな都市を訪れればそう感じるだろう(もちろんロンドンもエキサイティングだが)。

年末年始に間に合う壁崩壊20周年関連の展覧会

アートでベルリンの激変を感じる

Berlinische Galerie(www.berlinischegalerie.de/)で、『Berlin 89/09 Art Between Traces of the Past and Utopian Futures』と題したベルリンの過去20年をアートで振り返る展覧会が開催中。ソフィ・カル、タシタ・ディーン、ヴォルフガング・ティルマンの作品展示のほか、DJイベント、コンサート、リーディングなども開かれる。2010年1月31日まで。

冷戦時代の2つドイツのアート

German Historical Museum(www.kulturprojekte-berlin.de/)では、東西ドイツ時代に制作されたアート作品を集めた展覧会が開催中。ハンス・ハーケ、ジグマー・ポルケ、ゲルハルト・リヒターなど120組のアーティストによる絵画、彫刻、映像などの作品が展示されている。

原文へ(Time Out Berlin / Oct 2009 掲載)

テキスト クリス・モス
翻訳 佐藤環
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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