東京を創訳する 第4回『桜』

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索

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東京を創訳する 第4回『桜』


桜の開花宣言が、プーチンのクリミア編入宣言と並んでテレビのトップニュースになるのは、日本くらいのものだ。しかし、それを内向き思考と言って嘆くのは、今回の主題ではない。「ま、いいじゃないか」というスタンスで、東京の桜について語ろうというのである。

「桜前線」がかくも関心を引くには理由がある。ひとつに桜は、ハイビスカスや水芭蕉と違って、日本全土に咲くことがある。なら日本中で咲く椿だってよさそうなものだが、人気が違うし、桜の一気に咲くところが、開花を特定しやすいので「前線」となるのだ。それと関連してもうひとつ、わが国土が南北に長いことがある。ヨーロッパで言えばノルウェーのオスロから、アルジェリアくらいまで伸びているのだ。だから、桜前線は沖縄の2月に始まって、北海道のゴールデンウィーク頃まで3ヶ月の間、ニュースであり続ける。


東京で花見をするならば、どこが良いか。観光ガイドとして答えれば、別にどこでも良い。この時期の東京は、何所へ行っても桜だらけなのだから。私などは若い頃、渋谷から井の頭線に乗って、車窓からの沿線花見見物というのをしていた。もちろん、この連載の第1回目である皇居の千鳥ヶ淵はすばらしいし、北区の飛鳥山公園、隅田川の堤などは江戸時代より、定評のあるところだ。ただ、不思議に思われないだろうか。桜は、庭に花を付けているより、学校や公園、街路、川の土手など、公共空間に連なって咲いているのだ。その点について考えてみよう。

桜に先駆けて咲く梅と比べると、見えてくることがある。奈良から平安にかけては中国文化で価値の高い、梅の方に人気があったようだ。その後、歌人の西行が、鎌倉時代のはじめに、桜の木の下で春に死にたいものだ、なぞと歌ったあたりからじわりと桜がもてはやされ始め、江戸時代になってみると、桜はすっかり梅を凌駕していた。私には個人的に梅の可憐さが捨てがたく、特に香りの点では桜は物足りず、梅に軍配が上がる。では、梅の欠点は何か。それは、その背の低さである。庭にあるときは良いのだが、梅林にしたところで迫力に欠ける。ましてや街路樹にはならない。桜だって、樹の形からすれば日差しを除けるには好都合ではないのだが、何しろ、駅前のメインロードでも川べりでも並んで咲いていると壮観である。ただし、そうしたイメージを生んでいるのは桜の中でも主としてソメイヨシノであり、それは明治初期の改良品種なので、それ以前の桜とはちょっと話が違う。それでも八重桜であれ、山桜であれ、他にあのように満開に咲く花木は桜以外に日本列島にはないので、ソメイヨシノは日本人のそれまでの桜のイメージに沿ってそれを増幅した、と考えれば良い。

それでも桜が、かくも花見の人出を生み出すのは、この連載の主要テーマである、「江戸(東京)は人工都市である」ということが関係している。江戸は、都市計画されながら拡大していった町で、火事があるたびに防災のための火除け地、公共空間がそこかしこに作られた。そうした所は今の公園のように、いつもは物売りも出て人の集まる所となり、そうなれば幕府としては、勃興する都市住民の娯楽として花見もできるしつらえとして、桜を植えるようになった。そこには八代将軍の吉宗がどうも桜が好きだったらしい、という個人的事情もあったようだが、同時に江戸の市民のあいだに、都市的な桜の華やかさの美意識が醸成されていって、江戸に桜の名所が出来上がっていったのだ。

その中央の嗜好を味わった各大名も、国元に帰ると城の周りや土手など、やはり公共空間に桜を植えるようになって、日本各地に今に残る桜の名所が作られた。桜の公共空間性は明治維新後になると、今度は教育制度の確立とともに全国津々浦々の校庭に桜の木が植えられることになり、桜好きは江戸(東京)だけのものではなくなった。と、以上は調べてはいないのだが私の仮説である。上に述べたソメイヨシノの品種改良も、こうした公共事業に合った新製品として考案されたのだろう。

平安貴族の庭に咲いていた梅への称揚は、千年かけて吉野山などに野生で咲いていた桜への愛着に取って代わった。そこには、江戸という人工都市独自の美意識の誕生があり、それによって今も進行している、桜による列島一体化運動が生まれたのである。


船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。フィールドワークを、メラネシア(ヴァヌアツ、パプアニューギニア)、ポリネシア(ハワイ、タヒチ)、日本(山形県庄内平野)、東アジア(中国、韓国)で行なう。専門の関心は、人間の自然性と文化性の相互干渉、儀礼と演劇の表現と仕組み、近代化の過程で起こる文化と社会の変化。編著書に『国民文化が生れる時』(94年・リブロポート)、『知の技法』(94年・東京大学出版会)、『新たな人間の発見』(97年・岩波書店)、『柳田国男』(00年・筑摩書房)、『二世論』(03年・新潮文庫)、『「日本人論」再考』(03年・NHK出版。2010年、同名にて講談社学術文庫にて再刊)、『大学のエスノグラフィティ』(05年・有斐閣)、『右であれ左であれ、わが祖国日本』(07年 ・PHP新書)、LIVING FIELD(12年・The University Museum, The University of Tokyo)などがある。funabiki.com/

テキスト 船曳建夫
撮影 外山
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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