東京の各エリアをおさらい!

様々な顔、様々な文化がひしめく東京。そんな大都市の基本的なエリアを紹介

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東京の各エリアをおさらい!

ネオンに包まれた慌ただしい遊園地で、人々はハローキティを信仰し、電車は恐ろしく時間通りに運行する。自動販売機はそこら中に置かれ、まだ動いている食べ物が皿に並ぶこともある——。東京に関する噂のほとんどは本当だ。ポップカルチャーと伝統が混在し(ポップカルチャーがたいてい勝つが)、飽くことのない新しい技術への期待と挑戦。日本の首都は世界の想像をつねに2ステップリードしている。他の都市と同様に、東京も個性のあるいくつかの地域に分けられる。偉大な巨大都市東京が垣間見られる10つの重要な地区をピックアップ。

青山

銀座や、開発が続く丸の内と同様、青山はブランド天国だ。クリスチャンディオール、ラルフローレン、ルイヴィトン、トッズといったメガブランドのショップが軒並み続く。ハイライトはヘルツォーク & ド・ムーロンが設計したバブルガラスで覆われたプラダのブティックだろう。2005年には安藤忠雄デザインの表参道ヒルズがオープンし、地域一体は良くも悪くもブランド激戦区として名を上げた。開発を手がけたのは多目的コンプレックスビルの六本木ヒルズを成功させた企業。派手なファッションブランドが詰め込まれた表参道ヒルズは、六本木ヒルズの縮小バージョンとしてオープンした。施設内の小洒落たレストランでの食事が目的でない限り、この建物は外観から楽しむのが一番だ。とくに夕暮れ時の光が外壁のガラスに反射しカメレオンのように色を変える様は一見に値する。トップブランドショッピング以外でも、ナイトライフは銀座よりも充実している。10代の若者の聖地でもある原宿とこの大人の街は、表参道の並木通りによって繋がれている。

浅草

六本木と渋谷に娯楽施設が集まる以前、東京の娯楽といえば浅草だった。1940年までの数世紀に渡り、隅田川の終着点ともいえるこの街は東京の娯楽の中心地だった。1923年の関東大震災と第二次世界大戦以降、都内の人口は西側に移動する傾向にあるが、それまでは浅草こそが一般市民の密集住宅地区だった。今でも当時の名残は随所に残され、東京の観光名所として人気の高い浅草観音寺はいまだに訪れる観光客が後を絶たない。江戸時代に盛況だった合法売春宿、吉原に近接していたこともあり、吉原に出かける前に浅草に立ち寄る人々も多かった。猿回しや寄席、大道芸人などが通りを賑わせた。歌舞伎の中心地としても注目を呼び、歌舞伎役者たちはロックスターさながらの人気ぶりだった。現在、東京の過度の開発を逃れた浅草は、古き良き時代の象徴として扱われる。風変わりな花屋敷や小料理屋のほかにも、日本ならではのお土産を買うには適している場所だ。仲店通りに行けば箸や着物といった日本の古いお土産が手に入るし、厨房設備やレストランの食器類を取り扱う合羽橋通りでは漆塗りの食器や台所用品を揃えられる。

銀座

いかに世の中が不況で節約傾向になっても、東京の最もきらびやかなこのエリアは衰えを知らない。銀座は過去も現在も未来も、常に浪費主義の見本だ。道行く女性は高級ブランドに身を包み、買い物を楽しむ。夜の銀座は高級歓楽街だ。着物姿のホステスたちと政治家やビジネスマンが、高級酒のボトルを次々と開ける。一般人は、週末に銀座をぶらぶらと歩く「銀ぶら」楽しみながら、周辺のギャラリー散策したり、歌舞伎座で高尚な芸術鑑賞に勤しむ。買い物目当てならば、八丁目に及ぶ一万店以上のショップでバブル時代と変わらぬ価格設定の買い物ができる。着物や和菓子や碁盤といった伝統的な日本の民芸品から、グッチやカルティエやシャネルのような高級ブランドのフラッグシップストアまでショップのバラエティは多数ある。高級ブランド競争地区でもあり、各ブランドは外装にも力を入れる。ミキモトやエルメス、シャネルやルイヴィトンの派手な建築物はデザインだけでも楽しめる。銀座の幅広い歩道は東京の混雑した歩道と違い、ウィンドウショッピングにもぴったりだ。中央通りは週末の正午から歩行者天国になり、道路中央にカフェが出現し、ヨーロッパにいるかのような気分にさせてくれる。

原宿

都内最大の神道神社、明治神宮がまだ建設中の時代は、将来このエリアが若者のファッションメッカになるなどとは誰も想像も出来なかっただろう。週末になると神社の正面入り口から延びる舗装道路にはコスプレイヤーが集い、看護婦やゴス、ロリータやアニメキャラクターなど思い思いのファッションに身を包んだ若者たちが観光客のカメラに向かってをポーズをとる。最も賑わいがあるのは竹下通りで、密集した十代前半の少女カルチャーの中心部だ。原宿駅からこの通りを歩けば、「裏原」と呼ばれる、流行に敏感な若者好みのファッションショップが並ぶ裏道の心臓部にたどり着ける。ファレル・ウィリアムとNIGO®がビリオネア・ボーイズ・クラブとアイスクリーム・ストアをこの場所にオープンしたのも納得がいくだろう。

丸の内

お堀または城の内側という意味を持つ丸の内はまさに正規の東京そのものだ。皇居のお膝元であり、日本の道路網の始点となっている日本橋もここにある。首都の経済や政治活動の中心地でもあるが、最近はショッピングやダイニング施設が入った高層ビルの建設ラッシュが進み、商業面にも注目が集まる。1868年より皇室が在住する皇居は観光地として人気があるが、民間人は内部に立ち入ることはできない。1月2日と12月23日の二日間のみ、宮殿東庭に入ることができるが、外観だけでも充分写真に映える。天皇一家は歓迎しないだろうが、近接する高層ビルの上階から皇居を見渡すことも可能だ。ただし、ほとんどが企業のオフィススペースになっている。また、このエリアの観光地といえば靖国神社と、その敷地内の遊就館がある。日本の戦争記念碑であると共に、14名のA級戦犯の慰霊が祀られているとして国家主義者にとっても重要な土地でもある。とはいえ、能舞台と相撲土俵を含む広大な敷地と素晴らしい神社である。地元住民には舗装が終わったばかりの外国ブランド店が立ち並ぶ仲通りと、やや御手頃価格の丸の内ビルディングと新丸の内ビルディングが人気だ。ショッピングエリアの銀座から徒歩圏内のこのエリアでは、どちらかといえば消費よりも一息いれてリラックスしたい。

六本木

東京の歓楽街として半世紀に渡りお祭り騒ぎが続けられてきたエリア。外国人のパーティ欲を満たす要素が多いことがその理由の一つだ。テキーラショット、爆音の音楽と、回転の速い出会いの場がそれだ。最近では都内の二大ショッピングコンプレックスおよび国立新美術館の住所としても知られている。2003年にオープンした六本木ヒルズは未だに衰えることのない人気を保ち、毎週平日10万人、週末には30万人が訪れる。東京ミッドタウンは2007年にオープンし、六本木ヒルズ同様、高級ホテルやアップスケールのダイニングレストラン、メインストリームのファッションブランドや大規模な美術館が入る。ミッドタウンは東京で最も背の高い超高層ビルだが、六本木ヒルズの森タワーの展望台からの眺めも素晴らしい。都内最高の美術館もこのビルの中階にある。とはいっても、この新しいアップスケールな縮小都市ともいえる巨大ビル郡が、六本木の本来の伝統を押しやることはなかった。六本木のパーティパワーは健在で、この土地では新旧二つの側面が見事に共存している。

渋谷

東京の明るく騒がしいティーンカルチャーの中心地。若者のように、スピード重視、娯楽重視で安いショップやカフェ、クラブ、バー、レストランが数えきれない程乱立する。日中の顔は音楽やファッション店が主役だが、夜になりネオンサインが灯ると、ナイトクラブ、バーやライブハウスが夜明けまで活発になる。 JR渋谷駅のハチ公口が中心街への入り口だ。目の前には世界で最も通行人の多い渋谷交差点があり、その斜め右前にセンター街がある。この細い道路はショッピングや食事には向いていないが、人間観察にはもってこいの場所だ。東京のゴテゴテと飾り立てた派手な最先端ファッションをつぶさに観察できる。これらの洋服が買えるのが109だ。センター街の近くに位置する10階建てのビル内はブティックが並び、英語のGALから発生したといわれるギャルと呼ばれる少女たちで溢れかえっている。彼女たちは渋谷のイコン的存在だが、他にもヒップホップやクラバー、流行先端のデザインに敏感な若者たちの文化発祥地でもある。大人や年配の人々の姿はほんとんど見られない。学生たちの放課後の遊び場の印象が強いが、現在渋谷のイメージを向上しようと様々な開発が行われている。マークシティに三路線の列車が乗り入れすることが鉄道会社によって決定され、様々なアトラクションが魅力的なセルリアンタワー東急ホテルがオープンし、最近では安藤忠雄設計による駅拡張部分が完成し、新しい鉄道路線が商業地の拠点へのアクセスがより簡単になった。

新宿

多数の映画に登場する、東京のネオン街として有名な新宿。最大の副都心でもあり、最も賑わいの高いエリアだ。高級デパートから、怪しげなストリップクラブ、スモーキーなジャズバーや、ゲイポルノショップが通りを挟んで立ち並ぶ。新宿はJR山手線と中央線の路線によって西と東に分断され、西側には都庁や企業の高層ビル、パークハイアットなどの高級ホテルが整列し、反比例するかのように東側にはビッグブランドのショップや風俗店のネオン街が騒がしい。新宿は利用者数最大の巨大交通のハブでもある。制服を着た駅の業務員が乗客を電車に詰め込む光景を見たことがあるかもしれないが、新宿では朝の7時半から始まる早朝ラッシュアワーでは当たり前の光景だ。早起きしてカメラを用意したら、駅に出かけてみよう。混雑したホームは立つ場所もないほどなので充分気をつけること。出口数は50以上あり、数百メートルのトンネルが異なる階に張り巡らされているので、新宿駅では迷子になるのは時間の問題だ。自分が降りるべき地上出口をしっかり頭に叩き込んでおいた方がよいだろう。銀座、六本木や青山のトップクラスのレストランのラインナップに比べると、新宿は物足りなさを感じるかもしれない。だが安い値段の居酒屋や大衆食堂は充実している。三丁目付近のフレンドリーで気軽に入れる音楽関連のバーと、風俗街の外れにあるゴールデン街は、新宿の二大飲み屋街だ。250軒を超える小さなバーが、ゴールデン街の風情溢れる小さな路地に密集している。新規の客には冷たい店もある。ゴールデン街から少し歩くと、都内最大のゲイエリアがあり、日中は静かだが、夜はエネルギーが道に溢れ出す。

上野

西洋に受け入れられるより遥か昔に、風水は封建主義の日本にも入っていた。上野は風水によって作られたといっても過言ではない。現在の東京に政の中心地が築き上げられつつあった17世紀当時、風水師のアドバイスに従った徳川秀忠は、不吉な方角からの悪霊の侵入を防ぐため、江戸城の東北に寺を建設した。小さな漁村だった上野には、1625年までには36もの寺社が完成した。現在、それらの寺社のほとんどは姿を消し、跡地には上野公園がある。都内初の公共の公園として1873年に作られた上野公園は、僅か5年前には明治政府と徳川家の将軍が生き残りをかけて戦った地でもある。戦いは政府側の勝利となったが、たくさんの寺社が破壊されることとなった。現在は動物園や神社、博物館が並び、春には花見客でにぎわう東京の人気スポットだ。また、上野の人気スポットとして忘れてはならないのがアメ横だ。全長400メートルの商店街に、500以上もの魚屋、八百屋、安い洋服店や、海外ブランドのコピー商品を取り扱う店が建ち並ぶ。ここでしか手に入らない食材や香料を目当てにやってくる買い物客も多い。

谷中

忙しない東京に疲れた人は、写真から切り取られたような古い町並みが続く谷中で一休憩しよう。地理的にも落ち着いた場所に位置する谷中は、上野の博物館や大通りから外れたひっそりとした場所にある。様々な時代の試練を生き抜いた谷中は、数世紀前から時間が止まったかのように見える。都内でも最も寺院の密度が高い地域でもあり、大小様々な寺院が静かに佇む。1657年の明暦の大火を契機に、江戸の都市改造が行われ、多数の寺社が谷中へ移転した。以来、 1923年の関東大震災や第二次世界大戦の大空襲を生き延び、昔と変わらぬ光景が今でも見られる都内の数少ないスポットだ。

この文章はTime Out Tokyo Guide (2007年版)の英語原稿を翻訳・編集したものです。

※掲載されている情報は公開当時のものです。

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