The Hot Seat:河瀨直美インタビュー

カンヌ映画祭グランプリ受賞監督が語る、新作『朱花の月』と震災オマージュ企画『A Sense of Home』について

The Hot Seat:河瀨直美インタビュー

イラストレーション:Haruna Nitadori

万葉集の一片に、大伴家持の歌で「夏まけて 咲きたるはねず 久方の 雨うち降らば うつろひなむか」 という歌がある。夏を待ちうけて咲いた庭梅(=朱花:はねづ)が、雨ばかり降っては色褪せてしまうよ、と詠んだものだが、河瀨直美が描く女性たちはみんな、しっとりと生々しく汗ばんでいる。

河瀨は故郷奈良を舞台に、また自らの拠点とし、美しく懐かしい風景に生きる人々を描いてきた。自らの家族とその喪失感を描いたドキュメンタリー映画からキャリアをスタートさせた河瀨は、初めてのノンフィクション映画『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭史上最年少でカメラ・ドールを受賞し、あっという間にカンヌの申し子と呼ばれる天才的な映像作家へとのぼりつめた。その後も自らのスタート地点となった「家族」を軸に、『萌の朱雀』や『殯の森』では家族の喪失と残された者たちの生き方を、『垂乳女〜TARACHIME』や『玄牝』では命が生まれゆく瞬間を、また『火蛍』や『朱花の月』では男女が家族となるまでの激しい恋情を描いている。

最新作『朱花の月』は河瀨が愛する奈良の美しい風景をバックに、懐かしい方言が行き交うドキュメンタリー的なオープニングから始まる。血の様にしたたる朱花の色に魅せられたヒロインの周りには、トマトの瑞々しい赤や逢い引きの時にほんのり塗られた薄化粧の赤、籠の中の鳥にはめられた腕輪の赤、もうひとつの、鮮烈な赤。そして夕日や朝日の雄大な赤い景色がちりばめられている。2人の男に奪い争われる運命のこのヒロインが住む家の表札には「藤原」ともうひとつの名前が刻まれており、この作品の舞台の土地下に眠る、いまだ謎多き藤原京を偲ばせている。

また河瀨は2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけに、「Sense of Home」をテーマにして3分11秒の映画プロジェクトを始めた。海外からはビクトル・エリセ(スペイン)やジョナス・メカス(リトアニア)、ジャ・ジャンクー(中国)、ポン・ジュノ(韓国)など、国内からは桃井かおり、河瀨監督自身も参加する。 この上映は9月11日に奈良県吉野郡にある金峯山寺にて奉納上映され、連携している「ショートピース!仙台短篇映画祭」「山形国際ドキュメンタリー映画祭」などでも発表される。

河瀨監督の作品の根底に流れている生と死が巡る感覚と、大切な人の喪失感。そして子どもが生まれてから一層強くなった「新しい家族=命の誕生」という感覚。母として女として、映画監督として、河瀨直美の言葉からは無駄なものが何ひとつないように感じる。

-- 最近の作品をみていると、フィクションでは男女の恋情を激しく描き、ドキュメンタリーで生命の連鎖を描いているように思います。以前はご自身の家族の喪失をテーマにされていたことが多かったと思うのですが、ご自身の家族が増えたことが影響されているのでしょうか。
河瀨:それはありますね。子どもを授かったことで、より命のつながり、ひとつの命が終わっても次につながっていくことを強く感じます。表現の方法は変わったかも知れないですが、最終的に伝えたいこと、生と死、死があるから生がある、ということには差がないかなと思います。

-- ドキュメンタリーの作品とフィクションの作品では、制作されるときの感覚はどう変わりますか?
河瀨:ドキュメンタリーの場合は現実に生きている人の場にカメラが介在してゆくので、対象との共犯関係を構築するのに、絶対の信頼を得ないといけません。そのためにも、時間をかけ、こちらの心を最大に開いて接することに心がけます。また、映画を撮ること以上に私たちが生きていることの方が大切なのだということを誠心誠意お話します。

フィクションの場合は、現場に入ればそこですでに共犯関係が築かれているわけですから、対象(俳優たち)とは、身も心も共に捧げて映画作りに没頭します。そこではリアリティがとても大切になるので、私(制作者)はその場を創ることを最大の演出と考えています。

-- 海外で、奈良と近い空気感を感じた場所はありますか。
河瀨:イタリアの山間。インドネシアのウブド。

-- 『萌の朱雀』や『殯の森』では失われた家族の記憶を巡る物語を、『垂乳女』や『玄牝』では産まれゆく命を見つめる視線、『火垂』や『朱花の月』では生命が産まれゆく源となる男女の恋情が描かれていました。全く別のテーマを次に描くとすれば、どんなものになりますか。
河瀨:「女優」をテーマに創作したいと思っています。なぜ、演じなければならないのか、演じること=生きることにまで「女優」は昇華できるのか、そんな問いかけを通して、生きていく意味のようなものを探りたいと思っています。

-- 今の「東京」を舞台に作品を作るとすれば、どういう作品を作りますか。
河瀨:コメディ。

-- 河瀨監督のホームである奈良が、もしなんらかの理由で失われるとわかったとき、最後に訪れる場所はどこですか。また、持っていくものは何ですか。
河瀨:浮見堂。

何も持って行かない。

すべて、心に刻んでゆく。

-- 世界で活躍する河瀬監督は、日本人であることをどのように意識していますか。または、それが持つ重要性とは何でしょうか。
河瀨:東の国、アジアのひとつ、日本。

この国の人々は非常に繊細で、調和を愛し、自然の中で祈り、秩序を守ってきました。

そのような大切な国民性、美意識は世界に誇れる特徴です。

-- 『朱花の月』についてお聞かせください。朱色に染め上げる行程や、材料や食材の質感など、とても丁寧に、鮮やかに描き出しています。そういったディテールを描き出す大切さはなんでしょうか?
河瀨:ディテールの説明じゃなくて実感を伝えるために重要ですね。よりものに近づいていく感覚は、私の画(カメラ)の特徴かもしれないですけれど。

-- タイムスリップした風景が交差する手法から、強烈な念や、逃げられない運命…など色々なことを考えさせられました。それは、「飛鳥」という土地だからこそ生まれたイマジネーションなのでしょうか?また、なぜ「飛鳥」を舞台に作品を制作しようと思われたのでしょうか?
河瀨:きっかけは、飛鳥地方の橿原市の方と、世界一の夕日が見えるこの場所で映画を撮ってみませんか!?というお話になって…。それから、原案を書かれた坂東眞砂子さんと飛鳥地方を歩いていくつかのプロットを出し合ったりしながら物語を作り上げていきました。しかし、この地方にはまだまだ隠された物語が沢山あり、創作者の心を揺さぶる何かがあります。深く耳を傾けると聞こえてくる古代の声には、今の日本人が見習うべき大切なことが隠されているのではないでしょうか?

-- 物語も終わりに近づき、修羅場を迎えると思いきや、とても静かに進みます。しかしその「静けさ」こそ、とても激しい感情を包んでいるものだと気がつきました。そういった一連の表現が見事だと感じたのですが、「感情表現」について、何かこだわっていることはありますか?
河瀨:出演者のリアルな感情を一番大事にしています。脚本はありますが、現場では一度全部とっぱらって、その場で生み出されていくものを見逃さないようにと。リアルな感情を引き出すために演出は色々仕掛けますけどね。大げさな身振り手振りでの表現を控え、言葉にせず、内に込めた感情を表現するのが特徴です。

-- 映画の最後に出てくる、「無数のなもなき、魂にささぐ」は、自分は「子供の命」などいろいろ想像しました。これはどういった「魂」なのでしょうか。
河瀨:舞台となった飛鳥の藤原宮跡に眠っている古代の人々の魂、それも後世に名を残すことのなかった普通の人々のことを思ってクレジットに入れました。この映画の登場する人々もまたそうであるという思いも込めて。

-- 「Sense of Home」について質問です。このプロジェクトの名前には、どういう気持ちが込められていますか?
河瀨:Home/ホームという言葉は、Houseハウスの意味する物理的な‘家’とは異なり、Home country/ホームカントリー、Hometown/ホームタウン、など広域なものを意味したり、外国から祖国に帰ってきたものに対して “Welcome home”という言い回しと共に相手を出迎えます。今回の様な規模の災害では、‘家/House’だけではなく、多くの人の‘故郷/Home’が、失われ、傷つけられ、壊されました。この映像での取り組みを通し、東日本大震災による災害を自分事とし、世界各地それぞれの『A Sense of Home』を投影できればと考えます。『A Sense of Home』(‘家’という感覚)から生まれる、“家族とは”“ふるさととは”“祖国とは”というものを、世界中の人と共に人類の未来を考えてみたい。 この取り組みが、世界各地からのそれぞれの“A Sense of Home/ふるさと”への想いを分かち合う機会となり、被災地への勇気や希望につながれば、と願います。

-- 20名の才能豊かな作家/監督が集まり、ひとつの「身体」になるとすると、河瀨監督は、身体のどの部分だと思いますか。なぜそのように思われますか。
河瀨:血液。

すべての作家と意思疎通を図りながら作品がひとつところに集まってきたので。

-- 「なら国際映画祭」で上映される作品と、「ショートピース!仙台短篇映画祭」で上映される40名によるものと2作ありますが、どのようなコンセプトで2つの企画が生まれたのでしょうか?
河瀨:仙台から、「明日」への企画のお話を4月上旬にいただきました。その直後に、新作「朱花の月」がカンヌ国際映画祭に出品されることが決まったのですが、仙台の企画にヒントを得て、世界に何か呼びかけられないかと思ったんです。今回のカンヌは、私個人の作品が招待されたというより、この年に選ばれたことに表現者としての使命のようなことも感じていました。

作家である私たちには、他人事ではなく自分事として“表現”という具体的な形にする術や義務があるのではないかと。ちょうどビクトル・エリセさんとメールをやり取りする機会があってその思いを伝えたことろ、賛同してくださって、なら国際映画祭として「3.11 A Sense of Home Films」が始動したのです。

-- 地震のとき、偶然にも東京にいらしたと聞きましたが、奈良での生活にも原発の影響を感じますか。お子さんに対して、何か気をつけていることはありますか。
河瀨:原発の影響は殆どありません(影をひそめています)。

子どもは、以前と変わらぬ生活をしています。

同じ日本に生きて、この差が怖く感じられます。

自分事として、原発の問題を意識して生きて行こうと思っています。

-- 震災の際に、どんなことを考えていましたか。また、そのあとまず最初に何をしましたか。
河瀨:人間の力ではどうにもならない自然の驚異の中で、ただただ祈りつづけました。そして一刻も早く家族の元に帰って息子を抱きしめたいと思いました。


第64回カンヌ国際映画祭コンペ部門正式招待 映画『朱花(はねづ)の月』/9月3日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。

なら国際映画祭「3.11 A Sense of Home Films」金峯山寺奉納野外上映(9月11日開催)の参加希望者を受付中。

インタビュー 津留崎麻子
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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