ロングインタビュー:米原康正

ストリートの目撃者によるリアルな東京とは?

ロングインタビュー:米原康正

Photo by Hiroko Amano

米原康正:ロングインタビュー
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写真家以外の写真家、つまり素人による写真投稿雑誌『アウフォト~OUT OF PHOTOGRAPHERS~』の創刊者であり、アートディレクター、編集者、DJ、ローティーン雑誌のお手紙お兄さん…多彩な顔を持ち合わせている写真家・米原康正。もし彼を一言で表現するならば、原宿の目撃者。自身もインスタントカメラ「チェキ」をメイン機材のひとつとして使用し、"今街では何が起こっているのか"を絶えず追いかけ、ありのままに生々しく撮り続けてきた。中華圏での活動も増え、絶大な支持を既に獲得しているという。そんな米原に東京のストリートについて語りつくしてもらった。

『アウフォト』創刊号の表紙

『アウフォト』より抜粋

『アウフォト』より抜粋

『アウフォト』より抜粋

まず、最初に1995~6年に作ったものは?
米原:自分が作りたいと思ったものが完璧に形になったものが雑誌『egg』かな。当時、新しい女の子の雑誌を作りたいと言っていた、当時別の雑誌の編集長に「女子高生が面白いよ」と話したのが始まり。テーマは93年ぐらいから出現していたチーマーの彼女である女の子たち。街ではすごく人気があるんだけど、一切メディアには登場していないことにずっと疑問持っててね。だったら、そういう女の子たちが”嫌ではない形で”言い換えれば素のままで雑誌にすることができれば、絶対に同世代の女の子たちに人気が出るだろうなあって確信を持って作ったんだ。もちろん結果はその通りになったんだけど、雑誌は途中で大きく形を変えた。同世代というより、おじさんたち(スポンサーと言い換えてもいい)、にわかりやすいような、精神性より見た目重視の雑誌になっていった。いまだに日本では「街のありのままの姿を雑誌にしていく」という作業はスポンサーとの関係を考えると、出来ていないのかもしれないね。


米原康正が創刊に関わった雑誌『egg』

インターネットの時代になっても、スポンサーありきの流れは変わっていないと?
米原:雑誌について言えばそうだよね。雑誌にはもうひとつ、”流通”という壁もあるから。若い子たちが「自分たちの好きなものを作りたい」と思っても、それをどう流通させるかということを考えると、その”流通の人たち”が考える「売れるもの」を作ることしか許されないというような体制になっているからね。だけど、自分で動けば本当はどうにでもなるんだよ。本なんて、カラーコピーで作ろうと思えば作れるわけだもん。これを伝えたい、ってことさえあれば、その形はどう変化してもいいわけなんだよね。

だけど今の日本人って、お金がないと何も出来ないって思っているのね。写真を撮るにも良いカメラを買わないと撮れないと思っているし、文章を書くにもどこかの学校に通わないといけないと思っている。全部教えてもらえないと自分は何も出来ないと思っている。出版社を作るにしても、まず広告代理店と組まないと出版社にならないと思っているし。お金がない、人が足りないと言い訳して、夢はあるけれど形に出来ないと考えている人たちが多いと思う。フリーペーパーを作るとしても、まずスポンサーを集めようという所から始まってしまう。大会社と同じように、スポンサーを集めるところから始めるので、ストリート系なのにネイルサロンの広告ばっかりだとか、ギャル系雑誌じゃないのにギャル向けの商品のスポンサーだったりとよくわからない状態。そんなだったら作るなって(笑)。日本人って色々な意味を含めて、形を大切にするから何を伝えたいかということよりも、名刺を揃えて「お願いします!」ってならないと何も出来なくなってしまってるんじゃないのかな。


米原康正と親交の深かった故・林文浩による雑誌『DUNE』

なるほど…。話は変わりますが、テリー・リチャードソンと米原さんの関係を教えて下さい
米原:テリーと僕って、素人を見る視点が一緒なんだよね。素人に対してセクシーな部分は、100%ドキュメントになる、っていう方法論を持っている。98年にテリーが来日したときに、今年の8月に亡くなった『DUNE』の林が「ヨネちゃん、テリーと絶対気が合うからアテンドしてよ」と言われて、1週間テリーと一緒にその当時ブームだった日本の場所を色々と回った。時代は風俗だったから、いろんな風俗店一緒に回ったなぁ(笑)。

それは良い話ですね(笑)
米原:そのときにテリーは、ルーズソックスを盗んだり色々とやってい たね。そのときに様々な話をして、お互いに考えていることは最良のドキュメントをどう撮るのかということだった。彼は究極のナルシズムだから、”自分を反映させて人を撮る”という手法。僕は、究極の人マニアだから、撮るものは同じだけど、僕は人から入っていくやり方。同じものを撮るとしても、大きな違いがあるから面白かったね。

現在は女のコを撮る写真で有名になっていますが、どうして女のコに?
米原:もちろん女の子が大好きだからです。って、答えちゃうとこれで話が終わっちゃう(笑)。。雑誌『egg』以降、明らかに”女子の世界観”というものが商品として日本中に溢れかえっているわけだよね。日本は経済性を全てで優先させるから、これからはどう考えても「女子の時代だ」って、その時確信した。それに僕は男子だから、男子を扱って行くことに抵抗があった(笑)。。やっぱ1日中女の子に囲まれた生活は僕の理想だったからねw。日本のメンズファッション誌って男の写真ばっかりで、ある意味ゲイカルチャーみたいなとこがあるでしょ。ゲイがダメだって言いたいわけじゃないよ。女性が出てもゲイ的な紹介の仕方をし、ゲイ的なファッションを展開してるのに、自分たちはゲイ的だとは少しも思ってない、って思ってるとこが問題なんだ。


米原康正が創刊に関わった女の子向けの「ソフトポルノ」雑誌『Smart Girls』


僕が雑誌『smart』にちんかめを入れる企画に協力したりとか、『warp』に女の子のページを作るまでは、日本のストリート系雑誌にしてもメンズファッション誌にしても、女の子のページなんてなかったからね。びっくりすることに、全部男の写真ばっかり。外国人が見たら完全なゲイ雑誌だからね!そんなにみんな男好きなのかい!って、僕は思ってた。ところが、そういう『ちんかめ』や『smart girls』のヒットから、雑誌にも女子を出してもいいんだ、ってことをみんながわかると、今度はおっさん雑誌のグラビアみたいな女子ページが乱立し出した。僕は女子を扱う時、まったく私情を挟まないようにしてるけど、男性誌の場合ほとんどそうじゃないことが多い。みんなが勝手に「俺はこの女がいい」レベル。僕はそれが嫌だったから、しばらく女性誌ばっかやってた時期がある。ドキュメントとしての女性たちをファッション誌を通して追っかけるようになったし、彼女たちのためにいろいろ制作をし始めた。『egg』以降のことだよね。

でも、今撮っている写真は、男性が好きそうな女性を映したものもありますよね?ビキニとかセクシーとか
米原:それは、日本の置かれた状況がすごく特異で、僕が女の子向けの“セクシー”をやるまでは、日本には男の子向けの“セクシー”しかなかったという点にあると思う。『週刊プレイボーイ』などのグラビア雑誌を見れば分かるように、被写体の女の子は誰でも良いんだよね。こういうポーズや表情、メッセージを送ってくれる子ならそれでオッケーですみたいな感じで、女の子からは一切評価されてなかった。グラビアタレントさんと会って話をしたりすると、自分の写真集なのにそれを友達や人に見せようとしないことが多かった。「よねちゃん、これ格好悪いから見なくていいよ」って言うんだよね。つまり、自分で格好悪いと思っていることをしていたんだよ。それはやっぱりおかしいなって思って、女の子が良いと思うセクシーを作ってみようと思って最初に作ったのが、菅野美穂ちゃんの写真集。それが100万部近く売れたんだけど、その読者の多くが女の子だった。僕がやっていることが女の子から受け入れられたんだって、そのとき確信したね。『smart girls』は、そういった側面を1冊の形にしたものだった。今は女の子たちが「良いね」って支持するものは、男の子たちも「良い」って感じる時代。だから、女の子も見て楽しめて男の子も嬉しいというものが、僕の1番やりたいことでもあるんだよね。『smart girls』以降、ヌードではないちょっとエッチな感じのシリーズ「ソフトポルノ」と呼ばれる雑誌が日本だけでなく世界中でも同じような動きで拡がりだして、世界ではそれを僕の影響だと評価してくれている。


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インタビュー ジェイムズ・ハッドフィールド
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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