気仙沼での一日 前編

あるボランティアが東北の瓦礫の中で目にした希望、そして友情

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気仙沼での一日 前編

4月2日金曜日、物資の野菜を届けるため宮城県気仙沼市へ行ってきた。3月29日のお昼過ぎに、僕が主催する野菜が入場料の音楽イベント「ギブミーベジタブル」のtwitterアカウントに、気仙沼の避難所で野菜が足りず、栄養失調になる人が増えているとの情報が寄せられた。そこで、急遽4月1日にイベントを開催し、集めた野菜を現地に持っていくことになったのだ。情報元であり現地で支援活動を行っている日本の森バイオマスネットワークという支援団体に事前に連絡をとり、現地のガソリンや道路の状況を確認し、こちらから直接持っていくことが可能か確かめ、一刻も早くダンボール9箱も集まった野菜を届けるためにイベントが終わり3時間の仮眠を取り4月2日の15時に東京を出た。

東北自動車道に乗り築館ICへむかった。途中道路はひびが入っていたり波打っている箇所が何箇所もあった。まずは宮城県栗原市にある日本の森バイオマスネットワークの物資中継所へ行った。そこでようやく電話で何度も連絡を取り合っていた「日本の森バイオマスネットワーク」の副理事長、大場隆博氏と出会った。話によると、そこでは見逃されがちな小さな避難所や個人の家を中心に連絡を取り、必要な物資を調べ、個別に届けているのだという。

そこから1時間ほどかけて気仙沼の避難所へと向かう。途中の道を通る間、ガソリンスタンドに列は見られず、コンビニもタバコがないという張り紙が貼られている以外は、一見地震の影響がほとんどわからないほど落ち着いた様子だった。その景色が一変したのは気仙沼バイパスのトンネルを抜け西八幡町に着いたときだった。跡形も無いガレキの町。その様子を横目に見ながら、避難所である浄念寺へと急いだ。

浄念寺へ着き、物資を中に運ぶと境内には布団が敷き詰められ、お年寄りから、幼児までが避難していた。到着した頃、横浜市大の救急医療チームが検診をしている時だった。野菜を運ぶとたくさんの人たちが、野菜が来たことに喜び、何度も何度も「ありがとうございます。」と言ってくれた。話によるとほとんど毎日、カップラーメンやパン、冷たいおにぎりなどを食べており、野菜は20日ぶりに口にするのだという。野菜はどこの避難所でも人気なのだが、保存が利かないため支援物資としての扱いが難しく、自衛隊から以外はあまり配られていないのだ。小さい避難所であればなおさら口にする機会は少なくなる。

もちろんこの地域ではまだ停電していて、水も通っていない。生きていること、食べ物があることに感謝しながらも、やはり毎日カップラーメンやパンでは辛いのだ。それでも田舎のよい部分が現れているのか、お互いが顔見知りで助け合っているようで、あまり陰鬱な空気は感じられなかった。その後、また必ず来ることを約束し、津波の被害が最も大きかった鹿折地区へと向かった。


「気仙沼での一日」後編に続く

Photo by 佐々木亘
By 池田義文
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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