東京の名もなき支援者たち 3

五十嵐理(25)と堀内甲太(28)、“想い”を届ける『TASUKI PROJECT』

東京の名もなき支援者たち 3

ONIGIRI PROMENADE代表 五十嵐理、Fish and Chips代表 堀内甲太

海外の大学を卒業したため、日本に対する強い思いがあると語る五十嵐と堀内。そんな2人が、被災地に、必要な日用品を“プレゼント”として届ける『TASUKI PROJECT』を立ち上げた。プレゼントを受け取るのは、日用品の提供者と同じような背格好をした被災者。支援者は、自分が使っているものを、自分と同じような条件の被災者、いわば架空の“ともだち”にとどけるよう袋づめする。人と人とをつなぐ“タスキ”になるためのこのプロジェクトで被災地を訪れた2人。状況が変化し続ける現場で、本当に必要とされているものはなんだったのだろうか。

まず、『TASUKI PROJECT』についてお聞きしてもいいでしょうか。

堀内:私も神戸で被災したんですよ。阪神淡路大震災で。その時にボランティア活動も経験したんですが、物資が大量に届いても、仕分けるボランティアが足りない、という状況があった。みなさん、何かしたい、という思いがあると思うのですが、まず募金、そして次に物資を送りたくなる。でも行政は個人からは受け取らないんですよね。

支援したい側も手段が分からないんですよね。

堀内:そうですよね。それで、被災者に直接渡せるようなプレゼントを作ろうと思ったんです。僕は28歳で、身長は180センチなんですが、もし自分だったら何をもらったらうれしいんだろうと。それで、同じサイズの洋服なんかがあったら助かるかなと思って。それと爪きりとか、ひげ剃り、化粧水、歯ブラシ、お菓子。あったらいいだろうというもの届けようと決めました。

“プレゼント”は、日用品などの物資をバッグに詰め、性別・年齢・身長・服のサイズを記入したものをバッグの外側にはってもらう。それと、手紙やメッセージを添えてもらって。これを、僕たちがトラックで被災地に運び、同じサイズの方にお渡しする、というのが流れになります。ささやかなプレゼント、この“タスキ”を渡したい、ということでスタートしました。

物資はどれくらい集まったのでしょうか。

堀内:1週間で15t、2500袋が届きました。神戸ウイングスタジアムさんに協力してもらい、届いた物資を置かせてもらっています。第1弾は、11トントラック1台、3トントラック1台、ハイエースを使って被災地まで運ぶことになりました。ボランティア組織・ライオンズクラブがトラックを出してくれて、それで東北3県へと向かいます。

(活動の報告はこちら www.tasuki-project.jp/works.html

今はメディアに取り上げられたこともあって、物資が届く量がとても増えました。4月1日から7日の間で、4000袋、40tくらい届いた。このまままでは全て届けることができなくなってしまうので、受付・募集は一時中止とさせてもらっています。

それと、送り主から手紙を添えてもらっているんです。モノもうれしいが、見えない相手に向けて書かれた手紙、これが被災者にとってはげみになると思って。それで被災者の方も、落ち着いたらお礼が言えるじゃないですか。そういう、人のつながりを作りたいなと。いま、2、30人から返事が届き始めています。

被災地はどのような印象でしたか?

堀内:阪神大震災は、初動が遅かったんです。NPOもそれほど数が多くなくて、物資やボランティアなどが届くのも遅かった。東日本大震災ではその教訓がいかされていて、とても動きが早かった。だけど行政も被災していたため、物資があまる、というような状況も生まれてしまった。

五十嵐:ハイチ地震とは違って、東北といってもエリアによって、沿岸部と内陸部で状況が違うんですよ。沿岸部は壊滅的だが、内陸は大丈夫なところも多い。一口に“被災”といっても、そこには差があるんです。

実際には何が不足しているのでしょうか。

堀内:がれきを撤去するボランティアは足りていないように見えました。

五十嵐:企業からの支援物資などは続々と届いています。イケアの毛布と食器のセット、日清のキッチンカーなど。でも、それをいかに再分配するかというのがテーマなんです。持って行くと“公平性”ということを言われる。100必要なのに、50しかなければ、誰に配るのか、という問題が出てきてしまうんです。

行政が機能していない、ということなのでしょうか。

五十嵐:全国の市役所から特別派遣された方が、小学校などにいます。広島や仙台、様々な場所から来ている。十分にスタッフが揃っている場所もあれば、部署違いの、例えば教育課長がひとりで対応しているような場所もあります。民間は、行政の目の届かない小さなところに行ったほうがいいかもしれません。

これからの“支援”には、どのようなものがあると思いますか。

堀内:避難所にいるような時は、異常事態なのでテンションが上がっています。でも、仮設住宅に移り、ひとりになってしまう人が出てくると、今度は孤独死と自殺者が増えてくる。家族を失った悲しみ、忘れ去られる恐怖感などが襲ってくる。阪神大震災は直後にサリン事件があったんです。そのために、どうしても震災関連の報道が少なくなってしまった。

今は計画停電があるので、当事者意識もあるでしょう。でも、それがなくなったらどうなるか、それが怖いですね。今は助けの手も多いですが、復興はその先にあるんです。忘れない、ということも支援活動のひとつです。

具体的にはどのようなものが考えられるでしょうか。

堀内:そうですね……例えば、ボランティア電話、などいいかもしれませんね。被災者の気持ちは、被災者にしかわからない、という面もある。阪神の被災者とつなげば、どちらが不幸という話ではなくなる。誰かが心配しているという思いを届け、心を通わせることができる場所を提供する、というのはいいかもしれません。

五十嵐:向こうでは、何か聞くとすぐかえってくるんです。みんなやはり、話したいんですよ。

堀内:たくさん物資を集めて、多くの人の助けになりたいという思いがあったんですが、それはとても難しいということに気付きました。なので、ポイントを絞って活動を続けたい。子ども、小学生の置かれた状況を少しでもよくしたい。一緒にサッカーをやるだけでもいいし、タレントを連れていくでもいい。

五十嵐:小学校は訓練しているので、みんなで高台に避難などして助かっています。だが親御さんは仕事をしていたため、震災孤児になってしまったという子も多い。「うちは2階の屋根までつかっちゃった」なんて笑いながら話してくれるんですが、子供ながら、空元気で頑張ってるんですよ。「そういえば最近、テレビをみてないな」という言葉が印象的でしたね。

堀内:将来は何になりたい?と聞くと「自衛隊の弟子の弟子!」なんて笑いながら言うんですが、やはり現地の方はすごいありがたいと感じている。

今、普段の仕事はどうしているのですか?

堀内:このプロジェクトは、ライフワークとして、空いている時間を活用しています。こればかりになると生活ができなくなってしまう。長期的に支援していきたいんですよ。

五十嵐:基本的には、夜中とか土日とかを使っていますね。今度は、茨城に行こうかと思っています。

堀内:人と人の間を続くタスキになればいい。第1弾、第2弾は物資を届けましたが、これからは心の支えが必要になる。それはきっとメッセージ、人の気持ち、想いなのでは、と考えています。


TASUKI PROJECT (www.tasuki-project.jp/


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インタビュー Takeshi Tojo
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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