TEDxKids@Chiyoda インタビュー(2

クリエイティブ・コモンズ・ジャパン設立理事:ドミニク・チェン

TEDxKids@Chiyoda インタビュー(2)

世界をリードする思想家や活動家が今情熱を傾けている事柄についてのアイディアをプレゼンテーションするイベント『TED』。そのコンセプトを継承して創設されたカンファレンスプログラムのひとつで、子ども達にフォーカスしているのが『TEDxKids』だ。同イベントは、未来を作る子ども達と子どもの環境を作る大人達に向け、驚きと発見そして新たな疑問と希望を見出す場を提供する目的で2011年にスタート。2回目となる今年は、10月28日(日)に「”関係性の再構築”」をテーマにして、アーツ千代田3331で開催される。同イベントに登壇する注目のスピーカーに話を聞いた。

「オリジナリティーっていうのは、他人の仕事とのコラボレーションでしかない」ドミニク・チェン

著作や創造、教育に携わるひとのために保護と自由の柔軟な範囲を提供するライセンスモデルの提唱をしているクリエイティブ・コモンズの日本支部の運営や、5月に発売された著書『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック – クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』を通して、著作権と創作の新しい関係性をアクティブに啓蒙しているドミニク・チェン。TEDxKidsへの登壇を前に、著作権管理の自由化が未来に与える影響はなにか?子供たちとの関わりを中心に聞いた。

ドミニク・チェン



―今回、TEDx Kidsでは、どのようなお話を皆さんと共有される予定ですか?

ドミニク: 僕は、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(以下CC)というNPOを日本で8年間運営していまして、普段の活動は、著作権という法律を、柔らかくする仕事で、そこでやっていることを、子どもの未来と照らし合わせて、どういう意味を持つのかっていう話をするつもりです。著作権というのは、結構強い法律になっていて、何か物を作るとなったときに、ずっとそこに権利というのが発生してしまうんです。それが、今、強すぎると僕たちは考えています。例えば何か物を作ってインターネットとかで発表したりすると、権利があるせいで、コピーしたり、 ダウンロードしたり、人にシェアしたり、勝手にリミックスをしたりすると、その時点で法律違反になってしまうっていうのが現状です。それに対して「それって自然な形じゃないよね」っていうクリエイターたちの声がすごくあって。だからクリエイター自身が作ったものに対して、ほかの人に勝手に使っていいよっていう意思表示をするシステムを僕たちは作っています。

―著作権と子どもたちの未来にどんな関係を見いだしているのですか?

ドミニク: 大人の世界の話では、著作権を保護したい産業があります。それに対して「いや、文化振興の観点からも、もっと自由化した方が良い社会が訪れますよ。」っていうことを言いたい。普段は「子供のために必要だ!」みたいな話はしないんですが、ただ、5年くらい前に盛り上がった著作権の保護期間に関する議論で、ひとつひっかかっていることがあるんです。著作権をもっと強化した方がいいと主張される教授が、「子どもがいる人は、著作権をもっと強化する必要がある」と考えるのが自然なんだと言ったんです。「著作権をもっと開放したらいいと言っている人は、子どもがいないからそんなことが言えるんだ」って。今回、TEDx Kidsの題目をいただいて、それに対する答えを作りたいなって思ったんです。僕が思うに、その教授の主張は社会に還元するという観点がすっぽり抜け落ちているんですね。僕も、今年5月に自分の単著を出版してみて、本を1冊書くのって、死ぬほど大変だという事にようやく気付きました。それを気付いたうえで思ったのは、僕は300ページくらい本を書いたけれども、ドミニク・チェンのオリジナリティーをギュッと圧縮したら、多分、僕の印象だと5ページか10ページくらいで、残りの290ページというのは、人の考えとか、その分野で物事を作ってきた人達の遺産なんですよね。勝手に借用させて頂いた上で、その上澄みの部分に僕のオリジナリティー、主張っていうのが数パーセントあるっていう事をすごく実感しました。

だから本を出したときに、僕が印税としてもらうお金を、本の中で参照している先生とか、先人たちに配分するのが自然なんじゃないかって思うんです。どうしてそうならないかというと、利益を再配分する社会的な技術とかノウハウとか技能そのものが成熟していないから。 インターネットっていう僕たちが経験している1番新しい情報産業革命で、今まさに、お金の新しい流通の仕方とか、インターネットというインフラを使うことによって、新しい可能性を見出したい。で、どうしてそれが子どもにとって重要なのかを考えた時に、先ほどの教授が言ったように、それぞれの家族が自分の子ども優先で、権利とか知識を囲い始めたら、お互いがお互いのアイディアだったり、作って来たものを参照して新たなものを作る事がブロックされてしまう。それは、非常に貧しい世界を子どもに与えてしまうことになる。

オリジナリティーっていうのは、過去現在未来、全部を含めたうえでの他人の仕事とのコラボレーションでしかない。だから、この考え方に基づいたときに、僕も今7か月の子どもがいますが、子どもたちに自由に世界をサンプリングして、世界を感じて、むちゃくちゃな実験をしまくって、だんだんシェイプアップされていくっていうか、この自然な状態をこの社会の中でも作っていく事だったり、維持することをやっていかないと、どんどん貧しい世界を子どもたちに強いることになるのではないかと思うんです。

―シェアしたりミックスしたりするって考え方は、ドミニクさんが今まで育ってきた環境が影響していると思いますか?

ドミニク: そうですね、僕自身がリミックスされている感がある家族構成だったので。そういう人は今増えていると思いますが、僕の場合は、120%アジアです。台湾と、ベトナムと、日本の血が混ざっていて、ひょんなことに父親がフランスに帰化したので、僕はフランス人として東京で生まれました。フランスの学校に通っていましたが、そこもアフリカ人とか、ユダヤ人とかフランス人、中国系、日系が混ざっていて、それぞれ違った文化行動をしていました。今でも覚えているのは、アラブ人の子が10月頃になると、ラマダーンっていう断食の月があって、可哀想だったんです。みんなが給食を食べている時に、一人だけすごい力が出ない感じで掴まっていて・・・。でもその日の体育が皇居1周とかで、皆でペースダウンして一緒に歩いたりしていました。そこで実感するのが、まさに多様性、リミックスされうるという事ですよね。だから僕は人間の生命のあり方として、自然な状態というのはシェアとかリミックスにあるんじゃないかなと思うんです。インターネットだろうが、何だろうが、知識をシェアするとか想像する時には、拠り所とするべき原点というのが、僕たち自身の身体であったり、生命というものそのものなんじゃないかなと思うんです。そう考えた時に、子どもっていう存在にしても、子どもが享受すべき世界の広がりというものを議論することが可能なんじゃないかなと思うんですよ。

TEDのプレゼンテーションでよく覚えているのが、カリフォルニア大学の女性の研究者で、子供の脳の特性を研究している発達心理学の先生の話で、子どもというのは未完成な人間ではなくて、大人とは違うモードで生きている人間なんだと言うこと。子どもは全方位にアテンションがいき、そわそわして相手の話を聞いてないように思えて、聞いているというのが得意なんですって。大人と子どもを並べて、不可解な機械を作って、その使い方を自分で解き明かしなさいとすると、子どもの方が早く見つけちゃう。まさに、CCで推奨しているのは、子ども的な世界です。色んな物が世の中にあって、それをこうやってくっつけることも、あぁやってくっつけることも出来るんだっていう、気付き自体を増やすっていう。違法かもしれないけど、でもそれをやることで、もしかしてさらに面白い物が生まれるかもしれないっていうのが子どもの世界。大人が子供の思考のモードから学んで、子どもの世界を拡張するっていう事を、人間の社会とか文化とかを考える上で、参照するというのも必要なんじゃないかなと思います。

―異文化との交流が比較的少ない日本の教育について考えることはありますか?

ドミニク: フランスでは、必ず哲学の授業があって、なんかもう武術の稽古に近いものがありました。例えば、「死は乗り越えるべきものかどうか」というお題について白紙の紙が渡されて、2時間でバーって書くんです。もうトレーニングなんですね。ある時、先生に「3世紀前くらいに、同じ考えの人がいますよ」って指摘されるんです。そうすると、興味を持つわけです。この文化への興味の持ち方っていうのは、音楽をやっている人もそうだろうし、絵をかく人もそうだろうし、こうやって、哲学の体系に興味を持つ。マネゴトをしたり、自分が一生懸命やっていたらそれを誰かがやっていたっていうのは悪いことではない。

子どもがむちゃくちゃに描いた絵がマーク・ロスコに似ていたら、「それはマーク・ロスコだね」って言うんじゃなくて、「すごいね、これ。マーク・ロスコって人も君と同じようなことをやっていたんだよ。ちょっとチェックしてみたら?」って。そうすると、過去と自分との差分が見えてきたりする。このダイナミズムというか、別に再発明でもなんでもいいんだと思うんです。だから、1年間マネゴトしかしない美術のプログラムをやるとか。つまり、オリジナリティーの発想を全部逆転させて、とにかく横にいる人のマネを1時間していなさいとか、皆で図書館に行って気に入った人の文章をマネしたり、ミックスさせたり、オリジナリティーに関する既成観念をちょっと破壊する教育をやると、文化の見え方がアップデートされると思います。大人になってからだと、脳みそが硬くなるので、子どもたちに自由度っていうのを押し付けるのではなく、自由域を感じさせてあげたいなと思うのです。

要は、お互いの物を参照して、新しい物を作れるかどうかっていうことだと思うんですよね。天才ってすごく孤独だと思うんですよ、メディアや社会の語られ方として「あれはすごい」っていうのは結構孤独なポジションです。本当に、天才達の謎のヴェールを開放して、彼らがどうやってそこにたどり着いたかというのを、解明して、それを皆が使える ノウハウとして組み込む。だから、巨人の肩に乗るって私は言いますけど、小人から巨人までの肩に乗りあえるっていう、その導線を作るのが僕は文化だと思っているんですね。それを、 小さいころからシュミレーションして、そうなっていく事をすごく許容する社会にしていけたらいいなと思っています。

・ドミニク・チェンが、登壇する『TEDxKids@Chiyoda
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン公式サイト

インタビュー・テキスト 東谷彰子
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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