2009年09月29日 (火) 掲載
美食家にとって、京都の最大の魅力は食に対するこだわりだろう。それもそのはず、京都は料理に完璧を求める土地であり、先祖代々伝わる調理方法が現在でも大切に使用されているのだ。300年の修練を重ねた料理がまずいわけがない。
しかし、たしかにすべての料理の質は高いのだが、バラエティは少ない。郷土料理に対する誇りが強すぎるせいか、京都は世界の他の国々の料理、あるいは、日本の料理にすらほとんど興味を持っていないようである。もし京都でおいしい料理を食べたいならば、少数の重要な例外を除いて、潔く京料理に専念することだ。
ほとんどのレストランは、てんぷら料理屋はてんぷらのみ。そば屋は、そばのみ、といったように専門によって分かれている。品書きはセットメニューが一つだけという店もある。「すっぽん料理 大市」はすっぽん鍋のみ食べられる。同様に、「うなぎ料理 わらじや」はうなぎ、「鳥料理 鳥岩楼」は鶏、「西源院」は湯豆腐のみだ。
日本の格式高い料理を提供する懐石料亭では、コースメニューを選べることもあるが(一番品数が少ないコースでもかなりの量だ)、ここにもメニューはない。「草喰 なかひがし」のメニューは、料理人がその日の朝に川岸で入手した食材によって決まることがほとんどだ。質素なラーメン店や丼料理店でさえも、厨房にいるのは芸術的センスをもったテクニシャンたち。料理はおとなしく彼らに任せて、こだわりの世界を堪能してみよう。
もちろん、料理人の味覚、あるいは、嗜好を100%共有するのは難しいかもしれない。油の多い食事に慣れた味蕾は、フルコースで提供される出汁の大根の繊細な味がわからないかもしれないし、刺身を食べることが冒険だと考える人にとっては、地元の美食料理である白子に困惑するかもしれない。白子を知らない人は、「白い子」という名前から想像してみてほしい。
タイムアウトの京都ガイドは、ミシェランのガイドブックが京都で発売される少し前に出版された。ミシェランの料理調査員も京都料理には大いに喜んだだことだろう。だが、地元の人々にしてみれば今更料亭を格付けすることは意味がない。どこの懐石、そば、てんぷら、あるいは、豆腐料理店が最高なのかという論争は何十年、何百年と続いている。完璧な域に達していることが当たり前とされる京都では、2つ星を授与されることは侮辱に近いだろうし、ひいきの料理店が選外になったとすれば、誰もミシェランの言うことに聞く耳を持たないであろう。
ランクや星の数がどうであれ、京都では生涯で忘れられない食事ができる店が山ほどある。同程度の規模の街と比べても、その数は圧倒的だ。京都は懐石料理の発祥の地であり、日本の料理界の頂点だろう。驚くべき事に、懐石料理の発祥は、一杯の緑茶のための空腹しのぎだった。大抵のお茶会は長時間にわたるため、少しの食事で参加者の空腹をしのぎ、気を散さないようにしたのが始まりと言われている。
そして現在でも、食事は一杯のお茶で締めくくられる。懐石料理はいまだに茶室や個室で食されるが、もはや単なる空腹しのぎではない。懐石料理の「季節」は一言で言い表せられるものではない。配膳人の着物から部屋の生け花、壁にかかった巻物、料理が盛りつけられている皿まで、すべてが季節を表現しているのだ。一皿の料理は量こそ小さいが、たいていお腹一杯になるまで、あるいは、お腹一杯になった後にも次々と運ばれてくる。懐石料理は決して安くはない。「京都 吉兆」や「京料理 道楽」の超高級料亭では、ランチでも20,000円以上、夕食ならば50,000円程になるだろう。しかし、その価格の一部は、壁にかかった書道の傑作、貴重なアンティークの皿や茶碗など、食事には直接関係ないもののためでもある。料理のレベルを落とさずに良質な懐石を味わいたければ、「京料理 はり清」や「錦」、またベジタリアン向けの「京懐石普茶料理 閑臥庵」がお勧めだ。決して安いとは言えないが、値段は手ごろに設定されている。また、多くの懐石料理店は、かなり価格を落とした弁当ランチを販売している。「京料理 道楽」、「閑臥庵」、や「懐石料理 菊の井」の弁当は5,000円ほど。
もしも、5,000円の昼食がばかばかしく聞こえるならば、予算の束縛を気にせずに素晴らしい料理を食べることができる店もある。フライパンの音と油が充満するラーメン屋は、懐石料理からはほど遠いがそこまで悪くはない。一週間ぶっ続けでオペラ鑑賞したくないのと同じだ。ニシンそばは、山に囲まれた京都の新鮮な魚を手に入れられなかった時代に考案されたそばで地元の人々に人気だ。また、京都は高品質な豆腐も有名で、南禅寺付近の通りは、湯豆腐料理で知られている。最も有名なのは「豆腐料理 順正」だ。素朴な家庭料理を味わいたければおばんざいと呼ばれる、京都独自の小料理を試してみよう。同様の名前を付けられた「おばんざい」は訪れるべき店だ。「居酒屋 Oku」では、有名料理人によって編み出されたレシピに舌鼓を打てる。
第40代天皇により発布された法令のおかげで日本はかつて菜食の国であった。だが今はほとんどの料理に肉や魚が使われている。カツオダシは、日本の現代料理の基礎であるし、肉類は豊富にある。しかし、京都は土地柄、多くの良質な野菜に恵まれており、長い仏教の伝統のおかげで、肉を使用しない料理の調理法が熟成している。禅寺の竜安寺、閑臥庵、大徳寺、天竜寺は、それぞれ野菜料理の専門店がある。その他の場所でも「和のふれんち たま妓」や「フランス会席 禊川」、「イルギオットーネ」、「タヴェルナ・イル・ヴィアーレ」、「本家尾張屋」などでは、事前に連絡すれば野菜料理を用意してくれる。
京都では、他の店と同じく料理店も早く閉まってしまう。ラストオーダーが午後9時という店も珍しくない。懐石料理や精進料理は、食事に要する時間の関係でさらに早めのラストオーダーとなり、入店が午後7時迄のところもある。もし、深夜にお腹が空いたなら、深夜営業の料理店や軽食を出すバーが集まる中央地区の木屋町へ行こう。
毎夏、二条と五条の間にある鴨川沿いに店を構える料理店は、店の外に川床を組み立てる。提灯が川を照らす美しい眺めを見ながらの食事は、16世紀から楽しまれてきた伝統だ。当然ながらこれらの店は、かなりの人気があり事前予約が必要。近くにある「料理旅館 高雄」や「京都 貴船」も同様に川床が毎夏楽しめる。
旅行者が好きになれない地元慣習の一つに「一見さんお断り(初めてのお客様はお断り)」がある。客になるためには、常連の客に紹介されなければならないという意味だ。だがしばしばこの言葉は、しかるべき礼儀作法にかなっていない客(例:若者や外国人)を追い返すための理由として使われる。たいていの芸者茶屋は、前者だが、少数のカクテルバーは後者だ。そのようなカクテルバーは、かなり高級店であることが多いので、身の丈に合わない店を避ける方法として考えるようにすれば良い。
現代的なレストランならウェブサイトや看板があるので見つけるのは楽だが、伝統的な料理店にたどり着くのはやや困難だ。ホテルのコンシェルジェ、あるいは、旅館の従業員に店の場所を書いてもらうか、店の正面写真をインターネットで見つけるのが手っ取り早いだろう。
Kyoto Shortlist (2009) から翻訳、編集
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