2011年04月14日 (木) 掲載
一言でいうなら戦場。瓦礫と燃えた廃材の山。津波で市街地の駅前まで運ばれた船。そして、かすかに残るこげた匂い。
原型のある建物はほとんど残っていなかった。道路があるのはおそらく自衛隊が瓦礫を整理し、道を作ったからだろう。それでも、人手が足りないのは明らかだった。
海へ近づけば近づくほど道はなくなっていき、瓦礫の山が散乱し、結局海が見える場所にはいくことが出来なかった。ところどころに見られる生活用品や、写真、人形などが唯一人間が暮らしていた証となっていたが、もはやこの場所に町があったことを想像できるものはほとんどなかった。
僕らがその地域を歩いている最中、偶然にもこの写真を撮影していた気仙沼市出身の写真家、佐々木亘の友人に出会った。彼女は東京から気仙沼に戻り、瓦礫の山となった生家から思い出の品々を探しに来ていたのだった。一時間ほど町を歩き、その後に佐々木の実家や友人宅へと寄った。20時に再び東京へ向けて出発する頃には雪が降っていた。そして午前2時、東京に着いた。
あれから一週間が経ち、状況も必要な物資も変化しているかもしれない。ガソリンは被災地でも容易に手に入るようになり、道路もほぼ復旧してきている。日帰りも可能な状況となってきているので、必要な物資を持って、実際に現地を訪れ、誰かの助けになり、その現状を見てきてほしい。まだまだ、僕たちにやれることは沢山ある気がする。
後日談
後日、日本の森バイオマスネットワークの事務局長、唐澤晋平よりお礼のメールとともに下記のようなメールが来た。支援の輪がこれからも広がっていくことを望み、転載する。
日本の森バイオマスネットワークの唐沢です。
このたびはわざわざ東京からありがとうございました。被災者にとって何より嬉しいのは、物資そのものよりも たくさんの方が支えてくれているという事実です。
実際に顔を合わせてお話したことでギブミーベジタブルの皆さんや野菜を提供してくださったお客様の気持ちはきっと伝わったものと思います。生活が落ち着いてきたころにはライブイベントも喜ばれるでしょう。
また池田様たちの活動を見たというかたから支援金の振込みがありました。暖かい支援の輪がたくさんの人を介しながら広まっていることを実感しています。
今後ともよろしくお願いいたします。
日本の森バイオマスネットワーク miyagibiomass.net/
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