ロンドンサイクリングルート 7

オックスフォードサーカス駅~ボンド通り

ロンドンサイクリングルート 7

オックスフォードサーカス駅 Photo by The Wolf

第7回は、地下鉄オックスフォードサーカス駅から、ボンド通りまで、美しい建築物を楽しみながらロンドンの街を走る。

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スタート地点:オックスフォードサーカス駅
ゴール:ボンド通り
所要時間:90分

1924年に完成したリバティ・オブ・ロンドンビルは、石造りと木製の建物の2つに分かれている。後者はテューダー朝時代のスタイルを連想させられる出来で、元となる木材は昔、軍艦を作る際余分に出た木材だ。そして、石造りのビルは、リージェント通りに建つ。柱に施された彫刻はロンドンの街中でも驚くほど美しい。見上げると、彫刻された3つの“顔”がバルコニーから乗り出しながら下を見据えている。

石造りと木製のビルは橋で繋がれていて、その橋を渡ると、まるで全くの別世界に来てしまったような感覚に陥る。それほどまで2つの建築スタイルは異なっているのだ。一方はモダンで繊細な造りをしているのに対して、もう一方はオリエンタルのバザーにでも迷いこんでしまったようかの雰囲気だ。かのセント・ジョージと竜の機械式天文時計もこの橋にある。

次はリージェント通りを目指す。1820年代、時の王であったジョージ3世は現在でいうポルフィリン症を患い、ウィンザー王朝により幽閉されていた。そのため代理で王位についたのはリージェント王子で、彼は壮大な建築物を好み、同時に金遣いもとても荒かったといわれている。リージェント王はカールトンハウスに住みながら(現在で言うカールトンハウス・テラスが位置する場所)、郊外に新たな城の建設を計画、現在のリージェント公園がそれにあたる。

そしてリージェント王は2つの城を繋ぐ道路を造るよう、ジョン・ナッシュに任命する。リージェント通りが東に延び、ピカデリー・サーカスを経由しながら北へ向かっているのは、念密な都市計画に基づいていることにある。様々な店がこの通りを列ねているが、ハムリーズ(ロンドンにある世界最大級のおもちゃ屋)を含め、全ての店舗はクラウン・エステート社(イギリス王室の不動産を管理する会社)の管理下に置かれており、この土地で得られた収益も年間王室費となる。この通りに面するアップルストアの外観もサルヴィアティ・モザイクで綺麗に彩られている(建物は以前のサルヴィアティ・ロンドンHQを利用している)。

ロンドン大火の後、ちょうど西部地区が発展を遂げ始めた頃、貴族らは土地の賃貸をはじめ、賃貸借物件、土地自由保有権の制度を発達させた。この制度の発展がのちのロンドンの都市計画、ロンドン・スクエアの特徴として現れ、金持ちの家の前に庭も造られるようになった。ハノーバー・スクエアが良い例だ。また、 1725年に奉納された聖ジョージ教会も、1700年代中頃には流行りの教会で、町の人々は日曜の礼拝に目一杯のおしゃれをしながら出かけたという。また、ヘンデルもこの教会に個人の座席を有しており、オルガンを弾いたといわれている。ヘンデルはブルック通り25番地に建つ18世調の家でロンドン生活のほとんどを過ごしている(ここに店舗ができたのは1905年になってから)。ジミー・ヘンドリックスも短い期間ではあるが、1960年代この家の隣で暮らしていた。 そして隣接する路地を下ると、昔はロンドンのどの家の裏にもあった玉石で出来た“うまや”を見ることができる。元は、ジェントルマンが猟で捕えた鳥を保管しておく場所で、のちの家畜小屋となった。

ハノーバー通りを北へ進むと、オックスフォード通りへ突き当たる。ニューゲート監獄からマーブルアーチにあるタイバーン絞首刑台へと続くこの道は、人によっては、最後に通る道になったことだろう。そして今回のラン&ライドの終着点はジョン・ルイスビル。第2時世界大戦後に建てられたこのビルはハッキリとした線が特徴的な、モダンな建物だ。裏側にはバーバラ・ヘップウォース作の彫刻が飾られている。ここからさらなる歩みをすすめると、次の建物がそびえ立っている。100年前に建造され、素晴らしい列柱を有したセルフリッジ百貨店があなたを待ち構えていることだろう。

テキスト タイムアウトロンドン編集部
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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