この寺はおそらく、奈良が都の役割を失ったのに、多少の責任があるだろう。天皇は宮廷を、有力な寺から離れたところに置きたがり、興福寺はその典型だったのだ。669年、京都の南西に、強者・藤原家によって創建されたこの寺は、2回、権力の座の近くへと移転された。ピークのときの興福寺は、軍事力と政治的力を持っていたが、藤原家の影響力が衰えたとき、自身の寺への興味も衰退していった。建物は一部しか残っていないが、そのうちの一つは、京都の東寺に続いて日本で2番目に大きな五重塔。藤原家の家宝が遺されている建物もある。
Kyoto Shortlist から翻訳、編集
2009年10月更新
奈良県奈良市登大路町48
全日 9:00 - 17:00
拝観料無料 : 東金堂 ¥300 : 国宝館 ¥500
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